活路の開き方 1

 まったく同じ状況にいても、活路が開ける人と、そうでない人がいます。

「こんな会社はイヤだ」と言いながら、ずっと、そのイヤな会社に勤めつづけている人がいます。

 そんな気持ちを抱えたまま、その会社にいるということは、何重にも自分を否定していることになります。

 それは、その会社をすぐにやめなさい、ということではありません。

 自分がどんな呟きをしているか。
 どんな呟きをしながら、そこにいるのか。

 多くの場合、自分の捉え方、選択の仕方、そして決断の仕方です。

 これだけで、次の展開が異なってきます。

「こんな会社にいるのは、イヤだ」
 と言いながら、辞めないでその会社に居つづけているとすれば、無意識に、
「そんなにイヤな会社にしかいられない自分」
 という、自己評価の低い自分を育てていることになります。

 そんなイヤな会社での仕事であるために、仕事のすることそのものが楽しくないでしょう。そのために、能力的にもミスしたりトラブルが多くなるでしょう。

 すると今度は、
「こんなイヤな会社で、私は、こんなこともできずに、ミスやトラブルが起こしてしまう」
 こんな呟きをするかもしれません。

 その呟きが感情に反映されると、
「こんなイヤな会社で、こんなこともできない私は、ダメだなあ」
 と、ますます、自分の評価を下げてしまうような気分を抱え込むことになるでしょう。

 こんな会社はイヤだという呟きが、どんどん自分を痛めつける結果になってしまうのです。

 では、どうして、こんなふうに「自分はダメだ」というふうに流れていってしまうのでしょうか。
 それは、最初から、自分の感情を否定しているからです。

 自分では気づかなくても、自分の気持ちを認めていません。
 無意識に「会社をイヤになってはいけない」。そう感じてしまう自分は、ダメだと、否定的に感じてしまう自分を、嫌っているのです。

 では、会社をイヤになっている、そんな自分を肯定すると、どうなるでしょうか。

「ああ、そうか。やっぱり、私は、この会社がイヤなんだな」
 で、終わりです。

 そうやって肯定すると、次に、
「じゃあ、どんなところが、イヤなんだろうか」
 という見方に変わります。

 例えば、それは「仕事の分野そのもの。会社方針。仕事内容。部署。同僚。上司。部下」といったふうに、もっと具体的に見えてくるでしょう。

 さらにもっと細かく、例えばその部署で仕事をしているとき、
「私は、何を苦痛に感じているのか」
 というふうに、自分が苦痛に感じているところが、具体的に見えてくるでしょう。

「この雑用を押しつけられるのが、イヤ」
「あの人が、イヤ」
「これをしなければならないのは、不公平だ」
 等々、もしかしたら、そんな「苦痛に感じていること」が沢山あるかもしれません。

 沢山あったとしても、それを「まとめて、全て一気に解決しよう」などといった、不可能な見方をすることはないでしょう。

 そんなことをイヤと感じている、その一つ一つに対して、
「ああ、これをイヤだと感じているんだねえ」
 と受け入れることができれば、仮に「沢山のイヤ」があったとしても、それらの一つ一つに対して、丁寧に、自分中心的な対応をして、自分の「イヤ」を一つずつ、あるいは少しずつ、減らしていくことができるでしょう。

 少なくとも、そうやって「自分のイヤをできるだけ減らしていこうとする」行動が、だんだん、自分で行動して活路を開いていく自分を育てることになるのです。

 そしてまた、そうやって会社での「イヤ」を減らしていく行動が、会社を辞めるかどうかの決断力を育てていきます。
 その決断力が、自分の未来へとつながる活路を開く原動力となるのです。 (つづく)