認めてもらう、愛してもらう
誰もが「相手に認めてもらえば、満足できる」と信じているようです。
「相手に愛してもらえれば、幸せになる」と信じているかも知れません。
けれども、「認めてもらう」にしても「愛してもらう」にしても、それを数値化してみると、どれぐらいの分量だったら、あなたは満足できますか。
もし自分が満足できる分量を、相手が与えてくれなかったら、どうしますか。
そもそも、あなた自身が、満足できる分量を、具体的に把握できているでしょうか。
「満足の数値化」なんて、考えたことがないかも知れません。
例えば、相手があなたに「よくできたね」と認めてくれたので満足しました。
「愛している」と言ってくれたので、満足しました。
でもその後、相手が素っ気ない態度をとったり、別の人を誉めていたりすれば、あなたのその満足は、たちどころに萎んでしまうのではないでしょうか。
自分自身の中に、相手を疑う心があったり不信感の強い人は、相手がどんなに認めてくれても、愛を与えてくれても、それを信じられないでしょう。
一度満足しても、その効果が減ってくると、また相手に、「認めてほしい。愛してほしい」と求めたくなるでしょう。
持続性という点においては、あなたがもし、3日間でその満足が消えるとすれば、満足が10日持続する人もいるかも知れません。
満足の期間もまた、「認めてくれる人」「愛してくれる人」ではなく、それを求めている人の「満足を味わうことができる自分の資質」によって異なってくると言え
るでしょう。
では、「満足の賞味期限が切れてしまった」場合は、どうしていますか。
相手が与えてくれるまで、我慢していますか。
それとも、自分のほうから能動的に働きかけることができるでしょうか。
「これをこうしてもらったら、私は満足します」
「週に何回、私にメールをくれたら満足します」
こんなふうに、相手に伝えることができますか。
こんなふうに書いていくと、「満足感」というのは、とりわけ「満足度の高さやその質」は、相手が与えてくれるものではなくて、本当は、自分自身が自分のために
「満足できる状況」を数値化できるほど具体的に把握していて、それを言葉で表現できたり行動できるということが、満足の鍵と言えるのかも知れませんね。
つまり、満足度の高さというのは、満足を感じる自分の“感度の高さ”によって決まるということです。
実際に、相手に対して“待つ”ではなく、「ほしい、ほしい」と攻撃的に求めるのでもなく、自分自身が満足できる分量や具体的なことがわかっていて、自分のため
に「自分を認める」「自分を愛する」ことができる自分中心の人ほど、満足できる感度の高い人だと言えるでしょう。