貰わなければ損、損

 損得勘定は、代表的な「思考」です。

 一見、感情よりも「損得勘定」のほうがより客観的だし、論理的だし合理的だと思うかも知れません。

 けれども、こんな「損得勘定」に囚われているときは、思考の幅が極端に狭くなっています。

 冷静だし客観的であるように思えるために、つい、こちらを「優先すべき」だと考えがちですが、思考に嵌ってしまっている状態のときは、「損しない」ためにやっているつもりでも、結局は、損する動きをすることになるでしょう。

 例えば、
「こんな制度があるんだから、利用しなければ損だ」
 という気持ちでいるとき、どんな気持ちになっているでしょうか。

 言葉では表現しにくいでしょうが、声を出して何度か、次の言葉を言ってみてください。
「貰わなければ損、損」
 声に出すと、わかるはずです。

 このとき、自分の感情のほうに焦点を当てると、どんな感じでしょうか。
 少なくとも、超富豪のような「悠然とした、有り余るほどに有るという豊かな気分」になっていますか。
 そんな満足感は感じていないのではないでしょうか。

 心が「目先の利益」に奪われているのがわかるのではないでしょうか?

「目先の利益」に心が奪われている状態を、感じてみましょう。

 言うなれば、一円玉が地面にあちこちに散らばっていて、それを1個1個、「お金だ、お金だ」と、お金に目が眩んで拾い上げている状態と似ています。

 目先のお金に心を奪われている意識は、
「目先の小さなお金は得るけれども、長期的に継続的に大きなお金が入らない」
 という意識です。

 これは、一円玉だからではありません。
 一万円でも同じです。

 一円を拾っているときの感覚によっても、異なりますが、「思考」で考える損得勘定は、「儲ける」ことにつながるわけではありません。
 むしろ反対に、「損する」ものを選択していくことになるでしょう。