どんな感情を抱いているかによって決まる
時折、心理学に興味があるので、自分中心心理学を学んで、ゆくゆくは、カウンセラーの仕事をしたいという電話の問い合わせがある。
興味を持っていただくのは嬉しい。
けれども、よくよく聞いていくと、「興味がある」と言いつつも、私の本を読んだことはない、という人もいる。
漠然と“心理系”が好き(かも)というような曖昧な気持ちが、電話の受け答えの中に伝わってくる。
自分のほうから積極的に電話するという、その能動性は、とても評価できる。
けれどもその行動とは裏腹に、それを「やりたい」ではなくて、
「電話して、何か仕事にありつければ、とりあえずいいか」
と思っていたり、
「何となくやってみて修了すれば、もしかしたら、収入に結びつくかも知れない」
あるいは、
「就職先を紹介してもらえるのではなかろうか」
というような気持ちがあるのを感じる。
もちろん就職難の状況では、「就職できれば恩の字」という気持ちもあるだろう。
そんな動機で就職活動をするのはいけない、と言っているわけではない。
ただ、好きで“やりたい”というよりは、“不安”や“焦り”のほうが優っているかも知れない。
さらに掘り下げていけば、その奥には、
「就職できないかも知れない」
という恐れが隠れている。
その恐れも、もしかしたら、
「仕事をするのが怖い」
という恐れだったりもする。
こんなふうに、自分がどんな意識で「それに臨んでいるか」という、自分の意識に気づいてほしいのだ。
不安や焦りの中に「仕事をするのが怖い」という恐怖が隠れているとしたら、もし仮に、正社員としてめでたく就職したとしても、苦痛を覚えながら通勤することになるだろう。
人によっては、その苦痛から、精神的に疲れ果ててしまったり、休職したり辞めたりする。
「意識の法則」という視点で言えば、
「自分の恐れが形になる」
という言い方ができる。
意識という点においては、そんな恐れを抱いているよりは、
「とにかく、何でもいいから、仕事を“したい”」
あるいは、
「何でもいいから仕事を“しよう”」
のほうが、将来的には発展していく可能性が高い。
なぜなら、“したい”あるいは“しよう”には、仕事をすることに対する恐れがないからだ。
「仕事をしたいのに、仕事がない」のか。
「仕事をするのが怖い」のか。
あるいは、
「仕事をしたいのに、仕事ない」と思っているのか。
それによっても起こる現象は異なる。
だから闇雲に「就職しなければならない」という思考から入るより、自分の気持ちを見極めることのほうが大事である。
自分の気持ちに気づいたとき、「他者中心」の視点から「自分中心」の視点へと移行できるし、その対処方法を知ることができる。