「悔やんだり迷ったり」の思考

 いまの状況が悪いと、つい、
「あのとき、ああすれば、こんな状況にはならなかった」
「あのとき、AではなくてBを選んでいれば、いまごろ、幸せだったはずなのに」
 と、過去の選択を悔やんだりすることが少なくありません。

 けれどもいま、そうやって過去を悔やんでいるあなたが、仮に過去にもどって別の選択をしていたとしても、多分、結果は同じでしょう。

 あるいは、いま、
「Aにしたほうがいいのだろうか、Bのほうがいいのだろうか」
「どちらのほうが、自分にとっていいんだろうか」
 などと、迷ってしまうことも少なくありません。

 こんなふうに迷っているときは、どちらを選んでも、その結果が大きく変わることはないでしょう。

 なぜなら、いま「AがいいかBがいいか」と悩んでいるあなたがいるとすれば、過去を悔やむあなたが、その過去にもどったとしても、やっぱりあなたは「AがいいかBがいいか」と悩むはずだからです。

 つまり、過去であろうがいまであろうが「AがいいかBがいいか」と悩んでいる状況は変わりません。

 Aを選んだときと、Bを選んだとき、その両方を、同時に体験できれば比較できますが、私たちは同時に体験することはできません。

 Aを選択して結果が悪ければ、「Bを選んでいればよかった」というふうに思ってしまうでしょう。
 Bを選択しても、多分「Aを選んでいればよかった」というふうに考えてしまうでしょう。

 そんな「思考の癖」があれば、仮に結果がよかったとしても、
「あっちを選んでいれば、もっとよかったはずだ」
 などと思うでしょう。

 さらに言えば、あなたの「意識」が現実をつくります。
 つまり、「AがいいかBがいいか」の問題ではなくて、あなたがそれをどういった意識で選択するか、どんな気持ちで選択するかのほうが、重要なのです。

「あのとき、あちらを選んでいれば」
「AがいいかBがいいか」

 これはいずれも「思考」です。

 どんなに「思考」で適切なほうを選択したとしても、最終的には「感情が優先」します。

 選択するときの意識のほうが重要なのです。

 ですから、焦りながらAを選択すれば、その焦りが形になるでしょう。
 Bを選ぶとき、同様に焦っていれば、その焦りが形になるでしょう。

 けれども、弾む気持ちでAを選択すれば、その弾む気持ちが形になるでしょう。
 同様に、弾む気持ちでBを選択すれば、その弾む気持ちが形になるしょう。

 この“弾む気持ち”が土台になっていれば、もしそのとき、多少不適切な選択をしたとしても、自分の力で、それを肯定的な結果に変えることもできるでしょう。

 つまり、Aを選ぶかBを選ぶかが問題ではなくて、自分が選ぶときのその意識が重要なポイントだということです。