すがるから傷つく

 メールで質問をいただくのは、自分中心心理学に関心をもっていただけるという点ではありがたい。メルマガで、日常的にありがちなケースを紹介できるのも、そういった方々のおかげであると、日々感謝にたえない。

 その一方で、返信をするのが苦しくなってくるメールもある。それは、メールで、解答不能な問題に対する回答やアドバイスを求めたり、満足を求められる場合だ。

 まるで、一日で、癌を治してほしいと強制されているような苦しさを覚える。

「いますぐに、教えてほしい」
「いま、すぐに、楽になるようにアドバイスしてほしい」

「なんとか、いますぐ楽になりたい。いまの状況から抜け出したい」
 というような切羽詰まった気持ちでメールしている人ほど、それを求める。

 苦しくて切羽詰まった気持ちでいるのは、理解できる。
 また、相談者自身は、解決を求めてメールをしていると思い込んでいるかも知れない。

 けれども、実は、そんなメールを送ってくる人は、解決することを求めているわけではなくて、まだ「すがる相手を探している」段階の人たちである。

 まだ「解決したい」というよりは、自分で動くのが“怖い”になっている。
 心の底では、解決できるとも思っていない。

 そのために、
 自分のそばに、ずっと寄り添ってほしい。
 私の求める慰めの言葉を言ってほしい。
 私が求めたら、すぐにメールを返してほしい。
 こんな要求をつきつけてくる。

 自分では自覚ないかも知れないが、
「ずっと、相手をしていてほしい。私の要求通りに返信してほしい」
 というように、すがりつく相手を獲得するのが目標になっている。

 その特徴は、何度も何度も、メールしたくなるという点だ。
 メールがくればさらに、質問したくなる。相手が答えてくれても満足しない。相手の同意もなしに、半ば一方的にどんどんメールを送ることになる。

 そんな気持ちですがってしまった経験のある人、あるいはいま誰かにすがっている人、すがりたい人。
 すがる気持ちでメールをしていないかどうか。
 すがりつくことで、満足するかどうか。
 そこに気づいてほしい。

 相手が反応してくれて、自分の要求に答えてくれて満足する瞬間があるかも知れない。
 が、そんな満足は、どれほども続かない。
 すぐにまた不安に駆られて、すがりたくなるだろう。

 そうやって、やればやるほど、すがりたくなっていく。

 すがられるのを好む相手がいれば、それもいいだろう。
 しかしそれを望まない人は、どんどん苦しくなっていく。

 だから、その関係を断ち切りたくなる。

 こんなとき、「傷ついた、傷つけられた」の心理的トラブルが発生する。
 例えば相手のメールの中に「傷つく言葉」を探しては、その言葉が気になっていく。
 こうなれば「傷ついた」を口実に、相手と戦うことになっていく。
(親友と信じていた相手と、絶縁状を突きつけたくなるような喧嘩になってしまうのは、こんな依存関係になっているときである。)

 だから「すがる、すがられる」関係は、早晩、終わりがくる。
 しかもその終わりは、断れば傷つくのだから、二人の関係が長期化していればいるほど、追いかけたい人と逃げたい人との間で繰り広げられる展開は、悲惨な様相を呈する。

 すがられる人の視点から言えば、我慢して努力すればするほど、その関係をやめようとするとき、恨みを買う結果となる。あるいは、恨み合う結果となりやすい。

 すがる人は、自分で自分を満たす方法を学ぼうとしない限り、どう転んでも傷つくことになるのである。