話し合える関係

 自分中心心理学が全国的に浸透しつつあって、ようやくという感もありますが、おかげさまで、個人的には非常に忙しくなっています。
 できるだけ、メールやお手紙にお答えしていますが、かなりハードになりつつあり、お返事お待ちの方には、ここでお詫びさせていただきます。

 言い訳にはならないのですが、忙しさのあまり、ごくたまに業務での単純ミスが起こったりします。

 かなり気をつけているのですが、たとえば予約日時の勘違いや、日時と曜日の表記間違い等々です。 

 たびたびメールをくださる方は、もちろん、自分がお出しになったものは覚えています。
 ところが、受け手の私は、その方とだけやりとりをしているわけではないので、以前おっしゃったことが、頭に残っていないことがあります。

 たとえば、メール予約で曜日指定をいただいたとき、最初のメールで、
「日曜日は空いていない」と報告いただいたのに、つい、
「日曜日はどうですか」
 とお伺いを立てたとします。

 こんなときの相手の反応はさまざまです。

「どうして、日曜日って言ってくるんですか。最初にメールで、日曜日はダメだって、言ったでしょう」
 と、お叱りのメールをいただいたりします。

 さらに、
「どうして、間違えたんですか!」
 と責められても、最初のメールでいただいた「日曜日をということを忘れたからです」としか答えようがありません。

 この前も電話カウンセリングのときに「入金と予約の時間の間が空いたので」とあった文章について、
「あれ、入金いただいていたのに、予約されてなかったのかな」
 と不安になって、リスト等を調べていたら、そういうわけでもありません。

 可能性としては、過去のことをおっしゃっているのかなという気持ちもありました。
 反対に、料金をいただいているのに、ということであれば、請求できません。

「善意なのかどうなのか?」
 どちらにしても、事実を調べる必要がありました。

 ただ、その相手の方は、お話しすればわかる方でした。
 だから、多少、お互いに意図が伝わり合わなかったり、仮に誤解があったとしても、自分の気持ちを伝えることができます。

 結局は、相手の方が、
「(石原は)忙しそうなので、入金して予約の間が空いてしまうと、混乱するのではないかと思って……」
 という善意の言葉だったのです。

 それでさらに、その人の言葉が嬉しくなりました。

 そのときつくづく「話し合える相手」というのは、ほんとうに貴重だなと思った、そんな出来事でした。

 どんなに価値観が違っても、生き方が違っていても、恐れずに話し合える相手というのは、とてもありがたい存在です。

 敵意があれば、最初から話し合うことができません。
 敵意があれば、ミスをしたことが、相手を攻撃する材料となってしまいます。
 自分の中に恐怖があれば、自分は防衛しているつもりでも、過剰防衛となって、相手を攻撃していたりするでしょう。
 もちろんこれも敵、味方の意識です。

「話し合える関係」というのは、「許し合える関係」でもあるでしょう。
 ミスや誤解があっても、話し合うことができる相手であれば、問題解決を図るプロセスそのものが、温かい心の交流の時間となります。

 そのプロセスを大事にできれば、小さな問題が起こったことで、より信頼できる関係に発展するかも知れません。

 私は、そんな人たちが少数でもいてくれることのほうに、幸せを感じます。