「どうして私ばっかり」と思ったとき読む本

「どうして私ばっかりが」と思っているときは、損得勘定に囚われています。
 もちろん、そんな損得勘定になってしまうのは、我慢しているからでしょう。

 けれども、当たり前ですが、そんな損得勘定に囚われているときは、
「損する」という思考に焦点が当たっているために、逆に自分の感情が疎かになっています。

 疎かになっていると、どんなことが起こるでしょうか。

 例えば職場であるいは家庭で、誰かが、
「これ、やっておいてよ」
 とあなたに言ったとします。
 このときあなたが、
「どうして、私がしなくちゃならないのよ」
 と答えて、
「自分でやればいいじゃない」
 と、言い方は戦闘モードですが、まがりなりにも断ることができれば、損しなくて済むでしょう。
(ただ、言い方が戦闘モードであるために、その言い方がきっかけになって、ほんとうに争いが勃発するかも知れません。)

 このときもしあなたが、心の中だけで「どうして、私がしなくちゃならないのよ」とつぶやきながらそれを断ることができなければ、損する気分で、それをすることになるでしょう。

 これを繰り返していけば、あなたは、「損する、損する」という思考に囚われていくために、「損する気分」の不満を覚えながら、損することをし続けることになるでしょう。

 断ることができない限り「損する」ことをするしかありません。

 けれども我慢して損する不満を抱きながら引き受けていれば、永遠に、
『断るための表現方法を学ぶことができません。』

 損しないためには、「争いにならない言い方で、“断ることができる私”になる」以外に方法はありません。

 自分を守るための言語を知らないと、「損する」という思考に囚われながらも、自分の感情を抑えてしまうために、逆に、「損することばかりが起こる」ことになるのです。

 さらにまた、自分の感情を抑えていると、いつの間にか、自分の感情に気づかないようになってしまいます。

 そうなってしまうと、「正当に断っても然るべき」ときにも気づかずに引き受けて、人の責任を、自分がとる羽目になってしまうことにもなりかねません。

「どうして私ばっかりが不運な目に遭うのだろう」
 などと言う人がいるとしたら、それは、損得勘定に囚われているあまり、自分の感情に気づかずに、損する方向へと、自らをいざなっているのかも知れません。

 はっきり言うと、「損得勘定」に走る人ほど、結果として、「損をしています」。
 なぜでしょうか。
 それは、PHP研究所「“どうして私ばっかり”と思っ
たとき読む本」をお読みいただくと、納得できるのではないでしょうか。

 値段は600円です。
 が、値段の「損得勘定」ではなく、「損する」不満が溜まっていないか、感情を基準にしてお買い求めください(笑)。