“いま”が過去と未来を変える
カウンセリング業務に携わっているおかげで、自分で体験しなくてもわかることがたくさんある。
自分が普段の生活のなかで「普通」と思っていることも、本当は自分が「普通」だと思っているだけで、それがほんとうに平均的なことかどうかはわからない。
仮に他者や他の出来事と比較できるチャンスがあったとしても、それでわかったとも言えない。
なぜなら、他者や他の出来事と比較できたとしても、自分のファイルターがゆがんでいれば、ゆがんだ目でしか、それは見えないからである。
そういう意味で、自分が記憶している出来事が、そのときほんとうに起こったかどうかは、わからない。
自分では、それを真実だと思っていたとしても、それが真実かどうかはわからないのだ。
それぐらい、我々のフィルターは、一人一人、異なっている。
こんなことがあった。
内容を詳しく説明すると時間が掛かるので省略させていただきたい。
あるとき、机の引き出しの中を整理していたとき、
「あれ?」
と思った。
それは、自分の記憶では、確かに捨てたものだった。
「捨てたはずなのに、捨てていなかったんだ」
と狐につままれた気分になった。
当時、捨てるかどうか、迷った記憶がある。
けれども未来において、それが必要になる可能性は少ない。
だから、捨てたほうがさっぱりするのではないか、と考えた。
だから、捨てたという記憶が残ってしまった。
もしかしたら、その後で考え直して、「やっぱりまだ、やめておこう」
と思ったことを忘れてしまったのかも知れない。
こんなふうに、自分の記憶というのは、実に曖昧である。
実際に、その「捨てたはずのもの」を手にとったとき、当時の自分がそれを見詰めていた心境と、いま、それを見詰めている心境とは、異なることを自分が知る。
当時の自分にとっては、必要だった。
当時の自分と今の自分を比較すれば、その心境の分だけ、心が変化したことになる。
「これは、捨てていなかったのだ」
ここで過去の記憶が新たになる。
実際に、この例のように現物がなくても、過去の記憶は今の自分の心境によって変わる。
だから、“過去も変わり得る”。