他人さま
最近、相談される方々の層が広がって、70歳前後の女性の相談者も増えています。
自分中心心理学は、昔の教育を受けた方々にとっては「眼を白黒させてしまう」ほどの衝撃であるに違いありません。
例えば、ある女性は友人の誘いを断りたいとき、
「夫がダメだと言うから」
「姑に文句を言われるから」
と人のせいにしたりします。
あるいは、
「娘に孫の世話を頼まれているので時間がとれない」
などと、用事のせいにして断ることもあるそうです。
もちろん、
「今日は、疲れているから、家でゆっくりしたいんだ」
という、自分の理由で断ることはできません。
彼女にとっては、「疲れている」ということや「ゆっくりしたい」ということは、理由のうちに入りません。
何もしていないのだったら、誘いを断る理由がないと考えるのです。
それに、こんな自分の理由で断ったら、友人との関係が悪くなると思い込んでいるようです。
果たして、どうでしょうか。
反対の立場で考えてみましょう。
もしあなたが、誘った相手に「夫が、姑舅が、娘が」という理由で断られるとしたら、どんな気持ちになりますか。
たまに使う手だったら「ああ、そうなのか」と納得するかも知れませんが、たびたび、そんな理由を持ち出して断られれば、あなたは、
「自分を嫌っているのではないか」
と思わないでしょうか。
仮にあなたが「不自由な生活で大変だなあ」と同情したとしても、あなたはだんだん誘わなくなっていくのではないでしょうか。
では相手が「一緒に出掛けたい」という気持ちをあなたに伝えた後で、
「でも、今日は疲れているんだ」
「明日は家でゆっくりとしたいんだ」
「いまは一人で過ごしたいんだ」
と素直に言ったとしたらどうでしょうか。
「私を嫌っているので断っているのだ」と思うより、相手の気持ちを理解できるのではないでしょうか。
特に古い世代の人たちは、「他人さま」のことばかり思って生きてきているので、どうしても「私の欲求」を疎かにしがちです。
心の中では、
「今日は、イヤだなあ。疲れているなあ」
と思っていても、
「そんなわがままを言っていいんだろうか」
と答える人もいます。
自分を優先することに
「罪悪感を覚えてしまう」
というのです。
そんな人は、まず、言葉で伝えるよりも、「罪悪感」を消すレッスンをしましょう。
例えば、
“いま”、私が休みたかったら、休む。
いま、料理をしたくなかったら、少し休憩する。
いま、掃除をしたくなくなったら、やめる。
というふうに、「いま」の自分の気持ちに気づいて、その欲求を叶えてあげることです。
そして、実行できたら、
「ああ、よかった」と、その“よかった”をじっくりと味わうことです。
というのは、「ああ、よかった」という気持ちを味わうことで、罪悪感が少し軽くなるからです。
しかもそうやって、自分のこんな小さな欲求を叶えてあげていると、我慢していることのほうが、だんだんイヤになってきます。
「もっと、自分を大事にしよう」
という気持ちが育ってくるのです。