自分を感じるほうが正確だ(1)

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 今の社会はどうしても、世界情勢を見ても国内を見ても、国家間の紛争や財政破綻、放射能の問題や消費税のアップなどさまざまな要因が働いて、周囲の出来事に気を奪われざるを得ないような状況です。

 こんな背景があってか、個人的生活では、相手の動向を窺ったり、相手の情報を掴んで相手を出し抜いたり、自分の有利に働くように相手を上手くコントロールしたいという「他者中心」の意識がますます増大しているように感じます。

 けれども、まず、わざわざ相手の情報を掴むという点においては、「他者中心」になって相手の動向を窺ったり、「相手は、どうしてこういうことを言ったのだろう」などと相手の心を分析するよりは、“自分を感じる”ほうが最も手っ取り早いし、正確です。

 相手のそんな態度に対して、「私はどう感じるか」。
 相手のそんな表情や言葉を「私はどう感じるか」。

 というふうに、自分の感情を基準にしたほうが、はるかに正確ですし、簡単です。

 あなたが相手と話をしていてイライラしてきたとしたら、それは決してあなたを快く思っていないということです。

 あなたが相手と話をしていて腹が立ってきたとしたら、相手はあなたと戦闘モードにあるということです。

 あなたが相手と話をするとき、そのたびに、あなたがカチンとくるとしたら、相手はあなたを意図的に、あるいは無意識に「あなたを傷つけたい」と願っています。

 こんなふうに、自分の感情によって、「自分の感じ方」を基準にすれば、即座に相手の目標がわかります。

 例えばそんなとき、相手が、
「私は、そんなつもりで言ったわけではありません。それは誤解です」
 と言ったとしても、あなたが相手の言葉にたびたびカチンとくるとしたら、少なくともあなたにとっては、「善い人」ではありません。

 あなたにとって「善い人」でなければ、その距離を縮めれば、十中八九、トラブルが勃発します。

 なぜなら、トラブルが起こるのは、「二人の距離間隔」が近すぎて、どちらかが相手と境界線を無断で踏み越えたから、ということだからなのです。

 他の人がその人をどんなに「善い人」だと評価したとしても、あなたにとってその人が「善い人」だとは限りません。

 仮に相手がどんなに「善い人」だとしても、あなたがその人を苦手と感じたり、一緒にいるのが息苦しいと感じるのであれば、その「善い人」は、少なくともあなたにとっては「悪い人」です。

 その人が、どんなに善い人であったとしても、あなたがその善い人を、「悪い人」と感じるのであれば、いずれ、トラブルが起こる可能性は、非常に高いのです。

 ですから、その人が「善い人」であるかどうかを、情報収集したり相手の言動を分析するよりは、あなたがその人に抱く、感じるままの「感じ方」を信じたほうが、あなたは自分を守ることができます。

 そして相手がどうであってもあなたにとっては、「自分を守る」ことのほうが重要です。

 その人が「善い人」であるかどうかよりも、「私がその人をどう感じるか」というその感じ方を信じたほうが、少なくとも自分を傷つけないで済みます。

 このほうが、自分にとっては遙かに重要なのではないでしょうか。 (つづく)