私を愛した瞬間

 録画していた番組を見たら、気になってしまい、感情移入というか、そこに出てくる母親に対しての激しい怒りが湧きおこりました。
「他人のことなのに、なぜこんなに執着してしまうの?」
 と、自分の他者中心ぶりに嫌になります。
(母親が夫の悪口を子供らに垂れ流している様まで浮かんできてしまい)きついです。

 こんなメールをいただきました。

 その番組の内容に触発されて、私(石原)が本やセミナーで書いたり、話したりした以下の言葉が浮かんできたそうです。

 三代目に不幸が顕著となる。
 家族の中の一番弱いものがはけ口とされてしまう。
 愛された経験なく育つと、自己肯定感が持てないで、なにをやっても駄目だと思ってしまう。
 愛情ある助けの手を、自ら払いのけてしまう。

 もちろんこれらの言葉は、自覚することで「自分を責めないでいられる」。少なくとも、自分を責める分量が少なくなる、ということを目的として言ったものです。

 ですから、これらの言葉が、「だから無理なんだ」という方向に流れないことを願います。

 否定的な環境で育つと、当然、「自己肯定感が持てないで、なにをやっても駄目だと思ってしまう」のも無理ないことです。

 けれども、そんなふうに思い込んでいるのは、いわば、否定的な環境の中で、否定的な考え方や生き方をするようなトレーニングを積んできただけだと、思ってください。

 人によっては、多少のプラスでは追いつかないほど過酷な人もいるでしょう。それでも、間違った生き方をトレーニングしていたのであれば、自分にとってプラスの生き方のトレーニングをしていくしかありません。

 そのひとつとして、過去や未来ではなく、
「今」を見る。
「今」に焦点を当てて、プラスを実感する。

 過去や未来に焦点を当てるトレーニングをしてきて苦しい思いを解消できないでいるとしたら、「今」に焦点を当てて、プラスを実感するパターンを身につけるトレーニングをしていく必要があるでしょう。

 これは、トレーニングです。
 しかも、ほんとうは、楽しいトレーニングです。

 例えば「愛情ある助けの手を、自ら払いのける」という点について、
 ご相談者の方に、私は以下のようなメールを送りました。

 私のこのメールを受け取ったとき、「もっともっと、満足のいく返事がほしい」と欲求不満になる人もいれば、たった一度のこんなメールで、「勇気が出ました。こんなふうに受け止めてくれたことにとても喜びを感じます」という人がいます。

 受け止め方の違いです。

 相手に「私の心を満たしてほしい。満足させてほしい」という欲求をもち、相手が私を満足させてくれないと、愛を感じることはできないのだ、と思い込んでいる「他者中心」の人は、何度も何度も、「まだ、満足しない。まだ満足しない」という気持ちから、どんどん、相手に求めていきます。

 もちろん、求める人は、満足しないできないから、いっそう依存的、支配的になっていきます。

 そんな依存関係が成立すれば、お互いに「苦しい、苦しい」の悪循環になっていくでしょう。

 自分の中に感じる「プラスの実感」を感じる感度が高い人は、相手が自分の求めに応えてくれたこと“そのこと”を、心から感じることができるので、そこに「喜びや愛を見出す」ことができます。

 それだけで、「愛された」と喜び、愛に満たされます。

 でもそれは、本当はその人が「私を愛した瞬間」でもあるのです。

「私を愛する」ことができれば、人生は必ず好転していきます。