どうして感情を基準にしたほうがいいのか2

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 大きな感情になったとき、自分の欲求を満たそうとしたら、とても困難になるでしょう。
 例えば職場で、疲れたと感じたら休憩すればいいだけのとき、怠けてはいけないと思い込んでいれば、苦しくなるまで我慢します。

 そんな我慢がどんどん積もっていけば、辞めたくなってしまうでしょう。

 このときもし、自分の感情を基準にして、その「小さなしたくない」の願いを、その都度叶えてあげていたらどうでしょうか。

 その都度解消してしまうので、そんな大きな不満となることはありません。

 私が常々、「自分の欲求を満たす」「自分の願いを叶えてあげる」ことを大事にしましょうと言っているのはこういうことであって、「大きな感情」のしかもマイナスの感情を抱いたときに、すぐにその欲求を叶えましょう、争ってでも叶えましょう、といっているわけではりありません。

 けれども、「自分の感情を基準」にして、自分の感情や気持ちを確認する作業を怠っていると、だんだん自分の感情や気持ちに鈍感になっていきます。

 鈍感になるということは、自分の「欲求」や「願望」に気づかないということです。

 自分の欲求や願望に気づかなければ、残りは「しなければならない」だけが肥大していって、自分の欲求や願望を満たす歓びよりも、「しなければらない」苦痛と、「しなければならない。でも、できない」苦痛と、どっちに転んでも苦痛ばかりしか残らないのではないでしょうか。

 それだけではありません。

 自分の感情に鈍感になるということは、自分の欲求や願望が無くなるということではありません。むしろ、自分の欲求や願望があるけれども、それを自覚できなくて、我慢したり無視したり、抑えているということすら気づかないということなのです。

 自分の顕在意識は気づかなくても、自分の無意識は知っています。

 だからそれが飽和状態になると、いきなり爆発させる。感情的になって戦う。衝動的に高価なものを買ってしまう。返済のめどが立たなくても借金してでも買ってしまう。いきなり会社を辞めてしまう、というふうに、「ゼロか100」の行動をとってしまうのです。

 自著では、こんな話をたびたびしています。

 けれども「自分の感情を基準にしたほうがいい」と言えるのは、もっと重要な理由があるからです。

 この点を、大半の人が勘違いしています。 (つづく)