思い通りにならない相手を望む
「他者中心」になっている人は、
相手にわかってほしい。
相手を自分の思い通りにしたい。
相手を自分の思った通りに従わせたい。
こんな目標で、人とかかわっていきがちです。
もちろんそれは、そうすることで「自分が満足にできるに違いない」
と思い込んでいるからでしょう。
では、「自分中心」の人はどうでしょうか。
自分中心の人であれば、最初から、「相手を思い通りに動かしたい」
という欲求をもつことはないでしょう。まったくないとは言いません
が、かなり少ないでしょう。
その分だけ、相手に対する不満も少なくなります。
相手に求めるよりも、自分が動こうとするでしょう。
これだけでも、心が自由でいられます。
また、「相手を思い通りに動かしたい」という気持ちがなければ、「相手を思い通りに動かしたい」という欲求をもってくる相手と親しくしたいとは思いません。
そのために、そんな相手に自ら近づいて行くことはないでしょう。
むしろ、率直にノーを言ったり、離れようとするでしょう。
けれどもこんなとき、「相手を自分の思い通りにしたい」と望む他者中心の人は、「相手を思い通りに動かしたい」という欲求をもってくる相手に対抗心を燃やして、自ら近づいていくでしょう。
そこで「どちらが、相手を自分に従わせるか」というバトルがはじまります。
それだけではありません。
ここが「無意識」の面白いところです。
「相手を思い通りに動かした」という欲求をもつということは、どういうことを意味するか。
まさにそれは、そんな状況をつくっていくということです。
「相手を思い通りに動かしたい」という欲求をもてば、そんな欲求を叶えるためには、その前に、「相手が、自分の思い通りに動かない」。こんなシチュエーションが必要になってきます。
つまり、
「人を思い通りに動かせたらいいなと思いますが、なかなか思い通りに動かすには、骨が折れますね」
そんな不満を抱く出来事が、まず、先に起こらなければならないということです。
「相手を思い通りに動かす」ために、わざわざ自ら、「相手が思い通りに動かない」というシチュエーションをつくり出す。
「相手を思い通りに動かしたい」と思っていない人が選ぶのは、最初から協力が得られる相手を選びます。
ところが「相手を思い通りに動かしたい」という人が選ぶ相手は、同様に、「相手を思い通りに動かしたい」という人なのです。