自分を傷つける人たちに近づいて行く

 読者セミナーでは、個人的な相談を歓迎しています。
 もちろん、他の人もいますので、どの程度の内容を話すかは、その人の自由です。

 今回のPHP研究所の本のタイトルにもあるように「嫌われるのが怖い」といった相談も少なくありません。

 この前のセミナーでは、「嫌われるのが怖い」という話が出ました。

「嫌われるのが怖い」というから、私は、その相手が「好きな人」なのかなと思ったのですが、話を聞いていると、どうもそうでもなさそうです。

 確認のためにその人を好きかどうかを尋ねると、やはり、どちらかと言えば苦手な人なのだそうです。

 いまの全体的な傾向なのですが、頭の中にある「嫌われるのが怖い」のは、自分の好きな人よりも、苦手な人に対してそう思っている人たちが多いようです。

 その受講者の方も、「嫌われたくない人」たちに、自分を無視したり、自分を仲間外れにするような態度をとられるのがつらい、という相談でした。

 新しいサークルに入ったけれども、自分が好かれるかどうかが気になる。
 みんなが自分を好きになってくれるかどうかが、気になる。
 よく、こんな相談をされるのですが、自分がそれほど「好きだ」と思っていない人たちであっても、そんな人たちにすら、嫌われたくない、と思ってしまうのです。

「その人たちと仲良くしたい」とは思っていない。けれども「仲間に入れてくれないのは、つらい」ということなのでしょうか。

 けれども、そんな気持ちで、仲良くしたくないと思っている人たちの中に入っても親しくなれないのは目に見えているのに、「あたかも、その仲間に入りたい」と訴えているかのように、私には聞こえます。

 不思議だと思いませんか。

 自分を好きでいてくれる人たちと親しくなればいいのに、と私は思うのですが、そうではありません。

 どうしてわざわざ、嫌いな人を気にして、嫌いな人たちに近づいて行くのか。
 どうして嫌いな人を気にして、嫌いな人たちに、あたかも「好きになってもらおう」とするような行動をとってしまうのか。

 自分を好きになってくれる人ではなくて、「自分を好きでない人たち」に近づこうとするのです。

 それはまるで、お化けを怖い、怖いと言っている人が、わざわざお化け屋敷に出向いて行くようなものです。

 お化け屋敷に出向いていって、お化けが出そうなところを調べたり、もし出たらどこから逃げようか、どうすればお化けを寄せ付けないで済むだろうかなどと考えながら、お化け屋敷の中を歩いているようなものです。

 そんなことをするよりは、お化け屋敷に近づかなければいいだけなのに、出掛けて行く。

 それは、心の中で、すでに「私はお化けに必ず出合う」と思い込んでいて、だから、その前に、どうすればいいんだろうかとお化け屋敷に出向くということだったのです。

 つまり、自分が好きでない人たちは、必ず私を傷つける。嫌いな人に嫌われるのは、何よりも怖い。その前に、何とか手を打っておかなければ。

 そんな恐れが、好きでもない人たちに近づいてしまう理由だったのです。