「治る」「変わる」ってどういうこと?

 毎度思うのですが、カウンセリングやセミナーをやっていると、「治る」「変わる」ということを、誤解している人たちがいかに多いかということを痛感してしまいます。

 多くの人たちがイメージしたり心で描いている「治る」「変わる」ということに関する「思い込み」があります。

 治ったら、
「やる気がみなぎり、元気はつらつになってバリバリ仕事をするぞ」
 変わったら、
「何事も前向きに取り組み、自分の理想に向かって、どんどん行動していくぞ」

 あなたも、こんな自分になることが「治る」「変わる」というふうに思い込んでいないでしょうか。

 もしあなたがそうだとしたら、そんなイメージは、本当に、あなたが心から望んでいるものですか? 

「誰かが」あるいは「みんなが」そう言ったから?

 あるいはそんな自分を思い描くと、気分がいい。気分がいいから、
「きっと、これが私の願望なんだ」
 と勘違いしてしまっているのでしょうか。

 それとも、みんながそう言うし、そうできたほうが気持ちが良いし、実際にそんな生活をしている人がいて羨ましいから、
「私もそうなりたい」
 というふうに、もしかしたら、漠然と、なんとなく、みんながそう言うから、そういうものなんだろうな、という気分になっているだけなのでしょうか。

 いずれにしても、
「元気はつらつ。前向きに。理想に向かって。どんどん行動する」
 そんな自分に『ならなければならない』。

 だから、そのために、
「治らなければならない。変わらなければならない」
 こんなふうに、思い込んでいないでしょうか?

 もしそうだとしたら、頭では「治らなければならない。変わらなければならない」というふうに考えたとしても、自分の感情は、「治るのが怖い。変わるのが怖い」となるでしょう。

 怖くなってしまうと、自分では「治る、変わる」努力をしているつもりであっても、無意識は「治らない、変わらない」ほうへと自分を運んでくれるでしょう。

「治る」あるいは「変わる」ことの本当の目的は、そこにあるわけではありません。
 ここは、心から「勘違いしないでほしい」と望みます。

「できるところから、できる範囲でやりましょう」
「少しできたら、よかったと、自分に言いましょう」も同じです。

 繰り返し言っていることですが、基準は「自分の感情」です。

 これは必ずしも「元気はつらつ。前向きに。理想に向かって。どんどん行動する」ために言っているわけではありません。

 私が最も言いたいのは「自分の意志」をとりもどしましょう、ということです。

 やりたかったら、する。
 やりたくなかったら、しない。

 そんな自分の感情を優先できる、自分になりましょう。
 感情を優先できる、そんな自分の意志を持ちましょう、ということです。

 ですから、たとえば、
「いま、何もする気が起こらない」という気持ちでいるとしたら、
「いま、何もする気が起こらない」という自分の気持ちを大事にする。

 気持ちよく選ぶ意志をもって「何もしない」選択をする。

「気持ちよく何もしないでいられる自分」を達成する。

 そして、そんな選択ができて、
「ああ、らくだ。ああよかった」
 と実感する。

 こんな自分になるということが、「治る」「変わる」ということなのです。