「つらかった過去を手放す本」より  1

 あさ出版より「つらかった過去を手放す本」が発刊されました。
 最後の章は、不覚にも私自身が執筆しながら“感動”で涙しました。
 まさかと思いましたが、校正のときにも、涙が滲みました。
 最後まで、読んでいただくと、きっとあなたの心に感動が拡がるでしょう。

 自分では、
「何が起こっているか、わからない。でも、つらい、苦しい」
 と訴える人がいます。
 自分中心いなっていないと、自分の感情にすら気づきません。

 そのために、自分では、何が起こっているかわからずに傷ついていきます。

 人は誰でも例外なく、自分を愛したい。自由でいたい。自分らしくありたいと望んでいます。

・自分が、どんなふうに自由でないのか。
・自分がどんなふうに、自分を愛していないのか。
 仮に自分ではそれに気づいていないとしても、無意識はわかっています。

「過去の傷み」というのは、実は、そんな自分であることを否定されたり阻害されたり、そんな自分を望みながらも「自分を守れなかった」という痛恨の傷みでもあるのです。

 以下の文章は、枚数の関係から、カットした箇所ですが、どうも捨てがたく、発売に先駆けて、この紙面にて、若干メルマガ用に編集し公開させていただきます。

 30歳後半の彼は、総合病院で勤務医として働いています。
 彼は、相手の態度や言葉に非常に敏感で、とりわけ自分の周囲の人間たちが談笑している光景を見ただけで無性に腹が立ってくると言います。

 彼からすると、
「あんなくだらない話。何が面白くてケタケタ笑っていられるんだッ」
 という気持ちです。

 そして、
「その程度の奴らだから、できが悪いのも当然か」
 などと軽蔑せずにはいられません。

 そんな気持ちでいるために、誰かが少しでも自分に素っ気ない態度をとったり、自分の話を聞き流したり無視しているふうに映ると、「いつか思い知らせてやる」という気持ちにまでエスカレートしていきます。

 相手が自分の存在を無視したと感じると、それだけで傷ついてしまうのです。

 あるとき、看護師が彼の前で別の医者に対して、
「あの先生の判断が適切だったんで、うまくいったんですね」
 と言ってきたことがありました。

 彼はその話を聞いただけで不快な気分になって、その日から、その医者も看護師にも、敵意にも似た否定的な眼でみている彼がいました。

 自分でも怒りっぽいということは自覚しているのですが、相手が自分の期待した通りの反応と少しでも違っていると、感情のブレーキが利きません。
 そのために、彼の眼からみると、彼の周囲には、自分を傷つける人間ばかりがいるように映ります。

 この前も彼は、看護師が自分の指示通りに動かなかったことに腹を立てて、
「どうして言われたときに、すぐに用意しておかないのだッ。まったく、もっと頭を使ったらどうなんだ」
 と怒鳴ってしまいました。

「怒鳴ったことに対して、ご自分ではどう思いますか」
 私がそう尋ねると、彼は話をはぐらかすように、
「あの程度で済んだからよかったんです。ほんのちょっとのミスでも命にかかわることがあるんですから」
 と答えました。

 患者との間でも、しばしば問題が起こって、
「君が事前に説明しておかなかったからだろう。どうして僕が文句を言われなければならないだよッ」
 と強い口調で看護師を叱り飛ばしたり、
「あんな癖の悪い患者はほかの医者に回せばいいだよッ」
 などと暴言を吐いたりしてしまいます。

 自分が「傷つけられた」と感じると、その日から相手が敵になってしまうため、心が休まる間もありません。彼自身も、他者に腹を立てながら、自分の感情の起伏の激しさに翻弄されてヘトヘトになっていました。

 彼は小さい頃から母親に、勉強に関してはきつく言われていました。親族にも医者が何人もいます。母親の姿を思い出すにつけ、母親は、親族同士でどれだけ優れているかを争っているかのようでした。

 家でも彼は兄とすぐに比較されて、
「お兄ちゃんはこんなにできるので、どうしてあなたは」という言い方で否定されて育ちました。

 父親は不在のときが多かったのですが、彼にとっての父親は「厳しくて怖い」というイメージがあります。実際に父親はいきなり怒鳴り出すので、その理由が分からない彼は、父親が家にいると、ビクビクしながら過ごしていたことを思い出します。そのために、父親が家に居るときは、家中に重苦しい空気が漂います。

 父親は兄よりも、自分に厳しかったというのが、彼の記憶です。どんなに成績がよくても、褒められるより、
「うちの家系は頭がいいんだから、もっとできるはずだ」
 と言われつづけました。

 振り返れば、彼は「父親、母親に認めてもらいたい」一心で勉強をしてきたように思います。けれども未だ彼は、父親にも母親にも、「よくやっているね」といういたわりの言葉を聞いたことがないと言います。 (つづく)