プラスのほうが見える
自分を知るには、日常の自分の言動に気づく必要があります。
あるいは、自分を変えるには、日常の自分の言動に気づく必要があります。
自分の人生ですから。
私はつくづく、「幸せは、自分の中にあるなあ」と実感する今日この頃です。
最近、自分で自分のことを、
「そんなふうに見える自分でよかったなあ」
「そんなふうに感じられる自分でよかったなあ」
などと、自分に感心することが増えています。
たとえばプラットホームで電車を待っていたり、バス停でバスを待っていたりするとき、誰でも、
「ああ、次の電車まで、まだ、10分もあるのか」
と考えては、イライラしたり、バスであれば尚さら、
「まだ来ない、まだ来ない」
とつぶやいては、その言葉によっていっそう自分がイライラするということがあると思います。
けれども、最近の私は、
「あと10分で来るのか」
というつぶやきになっていたり、
「あ、まだ、来ないな」
で終わっている自分に気づきます。
そうやってイライラしないで受け止められる自分が嬉しくなります。
むしろ「自分の思いが叶っていない」ことよりも、
「あ、電車が来た。ラッキー」
とつぶやいたり、
「あ、バスに滑り込みセーフで、乗り込めてよかった、よかった」
「あ、ちょうどタイミング良く来てくれて、運がいいぞ」
などと、プラスのことが起こったほうに、焦点が当たることが多くなってきています。
そしてまた、ふと、そんなふうにつぶやいている自分に気づくとき、
「ああ、私は、無意識にこんなつぶやきをしているんだ」
と、そんな自分がもっと嬉しくなります。