「感じ方」のほうが立体的だ
どんなに満たしてもらおうとしても、自分がプラスの感度を高めない限り、不平不満の人生を送ることになるでしょう。
こんなふうに私が書いたとしても、
「どうすれば、プラスの感度を高めることができるのでしょうか」
と疑問に思う人もいるに違いありません。
カウンセリングをしていて思うのは、つくづく、「細かい場面を見てない」ということです。
細かい場面を見ることができなければ、プラスの感度を高めようにも、どうすればいいかさっぱりわからないでしょう。
細かい場面での自分の気持ちや感情に気づいていない人ほど、自分が何に傷ついているのかということだけでなく、どんなときにプラスの気持ちになっているのかということにも気づかないでしょう。
マイナスもプラスも感じないとしたら、一体、何に生き甲斐を見出せばいいのでしょうか。
一見、マイナスの感度が鈍感だったら、傷つかないので、自分の好きなことを恐れずにドンドンできると思ってしまうかもしれません。
けれども、鈍感ということは、状況が悪くなっているということにも気づかないということです。
肉体的疾患でいえば、怪我や病気が進行してからしか気づかないということです。鈍感であればあるほど、気づいたときには、もう手遅れということになってしまうかもしれません。
こんなふうに書いていて、ふと思ったのですが、じゃあ、敏感であればあるほど、いいのかというと、そうでもないようです。
例えば、これまでは早期発見、早期治療ということが言われてきました。
けれども、果たして、早期発見、早期治療をすればいいかというと、そうでもない場合も少なくありません。
なぜなら、時と場合によっては、充分な休養と自然治癒の力に任せていれば、治ってしまうことも少なくないからです。
かえって、慌てて過度な治療をしてしまったために、病状を悪化させてしまうということも起こる可能性もあります。
物事に鈍感なのも問題ですが、物事に敏感過ぎても問題が起こります。というよりは、自分自身が起こしているような感じもあります。
そういう意味で、これからはいっそう、自分の「見方、捉え方」の正確さが、自分を守る、そんな時代になってきたな、というふうに思います。
この「見方、捉え方」というのは、一般的に言われることではなくて、私自身の言葉でいえば「感じ方」ということになります。
なぜなら、言葉は平面的ですが、「感じ方」は立体的だからです。
さまざまに色づけされた思考のフィルターでみるよりは、「感じ方」のほうが、はるかに全体を正確に捉えている能力は高いと思っているからです。