どうして迷ってしまうのか
どうして迷ってしまうのか。
一言でいうと「今の自分に気づいていない」からです。
明るい未来を空想したり過去の楽しい思い出を回想しているときは、楽しい気分になったり、幸せな気分になったります。
けれども、
「こんな生き方でいいのだろうか。もっと違う生き方があるのではないだろうか」
などと、考え始めたら、不安や焦りが出てくるでしょう。
そうやって、未来のことについて悩んでいるときは、「今の自分」に気づいていません。
では、過去のつらいことを思い出して、
「あんなことがあった、こんなことがあった」
「あんなことをされた、こんことをされた」
などと、あのときの場面や相手が言ったひどい言葉などとを思い出せば、
「あのとき」と同じ気持ちに陥ってしまうでしょう。
そうやって過去に囚われているときも、「今の自分」に気づいていません。
たとえば、そんな未来の不安に囚われながら、歯を磨いているとしたら、「歯を磨いている」という状態のほうには焦点が当たらないために、歯のつるつる感を感じたり、磨き終わったさっぱり感を感じたりしていません。
過去の痛みに囚われてつらい気持ちになっていれば、食事をしていても、いま食べている料理がどんな味がするのか、美味しいのか、酸っぱいのか、甘いのか、辛いのか。そんな味覚を味わうこともなく食事をとっているでしょう。
こんなふうに自分の心がいつも未来の心配をしたり、過去の傷みに囚われていれば、「今の私の気持ちや感情」に気づくことができなくなってしまうでしょう。
もう一度、迷っているときに、どんな言葉を遣っているか、それを思い出してみましょう。
「このままでいいんだろうか」
「どうしたらいいんだろうか」
「どんな選択が、自分にとって適切なんだろうか」
これらのつぶやきの中に、「自分の気持ち、感情、欲求、願望」が現れているでしょうか。
これが、「今の自分」に気づいていないということなのです。
こんなふうに、自分の欲求や願望に気づかずに、あるいは無視して、頭の中だけで「どちらがより適切か。合理的か。得するか」といった思考メインの計算で判断しようとすれば、迷ってなかなか決められないのも当然のことなのではないでしょうか。