願いの叶え方を知らない(1)

 愛されたい。愛してくれれば、どんなに幸せなことだろう。
 人が私の望み通りにやってくれたら、どんなに満足するだろう。

 私たちはつい、そんな思いを抱きがちです。

 けれども、そんな幸せや満足は、イメージしたことで生まれた“心地よさ”です。

 すでにここで、もう、イメージと現実の世界を混同してしまいます。

 イメージすることで生まれる心地よさと、実際に体験したときに感じる感じ方とでは、ギャップがあります。
「自分中心」になっている人と、「他者中心」になっている人とでは、他者中心になっている人ほど、そのギャップが大きいのではないでしょうか。

 なぜなら、
 実際に相手が「愛してくれた」り、相手が「自分の思い通りにやってくれた」とき、幸せを感じたり、満足したりしているかどうか。

 もし、あなたが、小さい頃、親に対して「甘えたい」という欲求を強く抱いたとしましょう。
 自分がそんな欲求を強く抱けば、必ず、その欲求は叶うでしょう。

 事実、いまでも、自分を振り返れば、「自分の願いは叶っている」はずです。

「そんなばかな。全然、願いなんて叶っていないよ」

 そう思っているとしたら、根底に、
「自分の願いなんて、叶わない」
 という思いが、強く巣くっている可能性が高いでしょう。
 だから、「願いは叶わない」という強い思いが、叶っているのです。

 まあ、こんな切り返し方は、序の口です。

 そもそも、自分が、ほんとうは何を望んでいるのか。

 自分が願っていることにすら、気づかないでいるかも知れません。
 一般的に言われている「願いの叶え方」は、まだまだ、他者中心的です。

 自分が、何を、どんなふうに願っているのか。

 それに気づくには、「自分中心」になって、「無意識の視点」から見ることができない限り難しいのかも知れません。

 だから、ほんとうは「自分の願いが叶っている」にもかかわらず、気づかないのです。 (つづく)