願いの叶え方を知らない (2)
(2)
自分の無意識に気づかないと、自分の「欲求が叶った」ときでも、それを「自分の欲求が叶っている」と、公正な眼で見ることはできないでしょう。
例えば、親に対して「甘えたい」という強い欲求を抱いているとしたら、「無意識」が、自分のその願いを叶えてくれるでしょう。
では、自分の無意識が、その願いを叶えるとしたら、実際には、どんなことが起こるでしょうか。
実際に起こるとき、その現象が起こる基準のとなるのが自分の意識です。
自分の根底にある意識がポジティブかネガティブか。大きく分けると、これによって起こる現象が異なってきます。
それによって、そのチャンスが到来したとき、
「うれしいなあ、ありがたいなあ。じっくりと、親に甘えること。愛し合うことを育てることができるぞ。まさにいま、愛し合うことを、やり直しているところだ。うれしいなあ。ありがたいなあ」
と感謝することができるか。
それとも、
「何で、こんな親といつまでも、一緒にいるだろう。死ぬまで依存してきて、最後には、病気になってまで、私に迷惑をかけるのか」
と思ってしまうのか。
例えば、後者の場合「親に甘えて満たされたい」という強い飢餓感の中には、ひどいことをされて傷つけられた。傷ついた自分の気持ちをどうにかしないと、苦しくて仕方がないという思いや、他のさまざまな思いも混在しています。
自分の中にそんな根深いネガティブな思いが蓄積されていると、「甘えたい」と自覚して思える欲求よりも、根深いネガティブな思いを叶える現象をつくり出すでしょう。
それは、かつて親にされたことを、今度は自分が、親に対してやりはじめるということです。
かつて親が自分に対して支配的であったように、親の態度や言動が気に入らないと、親を叱りつけることもしています。
「あれもってこい。こうしろ、ああしろ」
と、かつて親にされたように指示、命令しています。
子供のころあなたは、親に「ああしろ、こうしろ」と言われていたとき、
「自分も、親のように『ああしろ、こうしろ』と言い返すことができたら、どんなにか爽快だろう」などと考えていたことがありました。
大人になった今、実際に、親に対してそうしています。
『願いは、叶っている』のです。
ところが、どうでしょうか。
自分では、願いが叶っているとは思えません。
願いは叶っているのですが、自分のイメージする「甘えたい」という欲求が満たされることは、決してないからです。
それ以前に、「願いが叶っている」ということにすら気づかない人が大半なのではないでしょうか。
イメージの世界の中では、甘えている自分を想像しただけで満足したり、その心地よさに心が満たされます。
ところが、現実的には、「甘えている」のに満たされない。
無意識の視点から観ると、逆に、「こんな形で願いが叶っているのか」と愕然とするのではないでしょうか。
自分の「願いが叶っていない」ように思ってしまうその奥では、こんなことが起こっているのです。
だから、「自分中心」になることが必須なのです。 (おわり)