相手の言葉は「自己紹介」

 人の言葉に敏感になってしまう「他者中心」の人ほど、相手の言葉に囚われてしまいます。

 相手が言った言葉にすぐ反応して、「馬鹿にしている」という受け止め方をして傷ついたり、腹を立ててしまう人が多くなってきているようです。

 それはほんとうに、相手が自分を馬鹿にしたのかもしれませんが、もしかしたら、自分がそんなふうに“感じる”だけという可能性もあります。

 自分に対して否定的な捉え方をしていると、相手の話の中から、わざわざ否定的に聞こえてしまう言葉を拾います。そんなときは、相手がどんなに肯定的なことを言っていたとしても、自分の耳に入ってきません。

 仮に、そんな肯定的な言葉が入ってきたとしても、
「私をからかっている。お世辞を言っている。皮肉を言っている」
 というふうに解釈する人もいるでしょう。人によっては、肯定的な言葉を聞いたとしても、自分がそれを信じられないために、「馬鹿にしている」というふうに受け止める人もいるかもしれません。

 誰でも失言するものです。
 聞き間違いや誤解もあります。
 お互いに、相手の言っていることが100パーセント理解できるわけではないし、それは、自分が相手に言っている言葉も同様でしょう。

 相手に、自分の期待するとおりの言葉を望んでいればいるほど、傷つくばかりでしょう。
 他者中心の人ほど、相手の言葉を鵜呑みにしてしまいがちです。

 もし仮に、相手が明らかにあなた自身を傷つける意図を持っていたとしましょう。

 そんなとき、「自分を守る方法」として、こんな捉え方もできます。

 相手の言った言葉は、自分に向かって発せられた言葉であっても、相手が自分自身の人となりをあらわす「自己紹介」である、という見方です。

 実際に、そうなのです。

 なぜなら、私たちは、それぞれ、自分の固有のフィルターをもっています。手や指の形は同じでも、同じ指紋がないように、それぞれが二人といない存在です。

 自分に形成されているファイルターも指紋のようなものです。

 当然のことながら、見方、考え方も異なります。
 その人がその言葉を遣うとしたら、それは、その人の内から出て来た言葉です。

 どうして、その人が、その言葉にこだわるのか。

 感情的になったとき、つい、
「お前は馬鹿だ。異常だ。〇〇だッ」
 と口走る人がいます。
 自分に向けられたそんな言葉を額面通りに受け取れば、どんな人でも傷つきます。
 けれども、それは、その人が「自分自身のことを言っているのだ」という解釈の仕方をすると、どうでしょうか。

 とりわけ感情的になっているときは、自分が最も気にしている言葉を、無意識に発してしまうものです。

 相手があなたに対して「情けない奴め」と言ったとしたら、情けないかどうかを気にしているのは、その人だと言えるでしょう。
「ちゃんとしなければ、ダメじゃないか」と言っているとしたら、その人が「ちゃんとしなければならない」と思っています。

 その言語を遣った人が、そのことにこだわっているということです。

 だから、そんな状況のときに発せられる言葉ほど、その人の中にあって、その人が自分に向かって言っている、と言えるのです。

 また、面白いことに、あなたが相手に対してそんな見方をすると、恐らく、あなたの目からみると、
「あなただって、ちゃんとしてないじゃないの」
 と言いたくなるでしょう。

 その人が言った言葉は、その人に当てはまる。

 だから、相手の言葉は、相手のものであって、まさにそれは「自己紹介」の言葉なのです。