自分の価値を高めるために引っ越すという捉え方

 騒音に関する、こんなメールをいただきました。

 私は現在、賃貸の共同住宅に暮らしています。
 階下の男性と顔の見えない争いをしています。
 入居した当初に下から天井をバットのような物でドンドンドンっと、突付かれました。

 最初はやり返すとまた仕返しされるので、我慢していました。

 でも我慢しても一方的に床を下から殴られるようなことが続いたので、いい加減我慢するのも馬鹿馬鹿しく腹立たしくなり、私は自分の部屋の床をドンドンドンっと思い切り下を蹴り、相手に怒ってるんだという感情をぶつけました。

 これをきっかけに、下から天井をどつかれることはなくなりましたが、たまにわざと大きな足音をドンドンドンさせて、わざとらしく物音をさせたりして攻撃をしかけてきます。

 下の住人がいつ帰宅したのか音でわかるようになりました。

 私に向けてなのかはわりませんが、あからさまに音を発生させて存在感をアピールしていると感じます。

 その時に、私はどう感じているかというと、音がした瞬間、
「あぁ、びっくりしたぁ。何?また下?何やったらこんな音が出るわけ?」
「うっさいなー。あぁ、むかつく。帰ってくるな」
 といった気持ちです。

 そして「なんか気が治まらないから、次やったらやり返してやる」と思ってしまいます。

 やり返すこともありますが、イガイガ、モヤモヤ、あまり気分爽快ではなく、自分が楽になる対処法がわかりません。どうすれば自分が一番ラクになれるんでしょうか???

(返信)
 以前にも、騒音問題で書いたことがあるように記憶しています。
 たびたび取りあげなければならないほど、騒音問題を解決するのは難しい課題ですね。

 ご相談者の方のメールには、
『入居した当初に下から天井をバットのような物でドンドンドンっと、突付かれました。』
 とあります。ということは、もしかしたら、何気ない音が下にも響いていて、相手のほうも「上階の騒音が気になる」という状態になっていた可能性があります。

 なぜなら、共同住居であっても、何ごともなければ、上の階や下の階を意識することは、普段の生活ではあまり無いことのように思うからです。

 ただ、相談者の生活音が、下に響いているかどうかはわかりません。
 別の部屋の音が、下に響くこともあるからです。

 もし相手が、上の階の住人を「騒音の主」として捉えているとしたら、やり返すような方法では、いっそうエスカレートして危険なこともあるのではないでしょうか。

 一般的には、以前も取りあげたのですが、大家さんや管理会社を通して、対処してもらったほうがいいでしょう。

 手紙を出して投函するという方法もあります。仕返しをするやり方よりは、安全です。

 それでもダメでしたら、話し合うしかありません。
 もっとも、手紙に出すにしても、話し合うにしても、最初から「相手が悪い」という発想や、戦う意識から入ると、問題解決するよりは、「戦い合う」ことになってしまうでしょう。

 コミュニケーションという点においては、自分中心心理学でいうところの「自分表現」の方法を学ぶ必要があるかと思います。

 話し合うにしても、管理者や大家さんなど、間に立ってもらったほうが、安全でしょう。

 また主張する際、これは常に言っていることですが、漠然と「やめてください」と主張しても、争うばかりです。

 あることを主張するには、裁判のように言わば「証拠」が必要です。

 何日何時何分にどんな音がしたのか。
 それが、耐えられないほどの音かどうか。
 音がする、その頻度はどうか等々。
 状況証拠として、場合によって録音しておく必要もあるでしょう。

 ここまでは、一般的な解決方法です。

 次は「意識」の視点から言うと、逃げるような気持ちや争う気持ちではなく、「自分を育てる」ために、その問題と向き合っていこうという意識があれば、何らかの変化が期待できるかも知れません。

 まず、心理的には、自分自身がハッピーでないと、小さな音が気になっていきます。自分が物事に対して、
「自分は、無力である。自分の力では、どうしようもない」
 という思いが強い人ほど、ドアの開け閉めの音、冷暖房器具の音、家の中の器機が発する音など微細なことに囚われていきがちです。

「自分は無力である」という人であれば、自分に価値があるという自分を育てるために、その問題に取り組むことになるのでしょう。
「無意識」の視点からみれば、そんな状況になることも、偶然ではないという捉え方をします。

 その問題を通して、「自分が学びたい」という無意識の欲求があるのです。

「誰か、私のために、何とかしてよ〜」
 ではなくて、私が、自分の問題として解決するために、私自身が、その問題に取り組もう、と決意する。

 こんな「決意」を持つことができれば、すぐにということではないかもしれませんが、これまでの生活が微妙に“肯定的に変化していく”かもしれません。

 あるいは、自分にとっては、ちょうど今が「引っ越し時」ということもあります。

 段々、周囲が荒れてきている。自分の心が肯定的な意味で変化してきている。こんな場合は、「自分自身が、その場に合わなくなっている」という解釈をします。

 いずれにしても、周囲の環境が荒れてきているとしたら、そこに踏みとどまる理由がありません。
 自分の「快適な生活」のために遣うお金は、自分の人生をよくしていく肯定的な投資と言えるのではないでしょうか。

 どこに価値を置いて、お金を遣うか。
 自分の価値を高めるために引っ越す、という捉え方もできるのです。