肉体的痛みには敏感でも、精神的痛みには鈍感になっている

肉体的痛みには敏感でも、精神的痛みには鈍感になっている

 感情は抑えるものでも、コントロールするものでもありません。

 感情は「愛」につながるものです。

 感情を抑えるということは、愛を抑えることにもなります。
 それは、愛の感度を鈍らせてしまうことをレッスンしているようなものです。

 何よりも、理論的に考えれば、「感情は情報」です。

 自分の感情は、センサーです。
 もちろん、それは、自分を愛していないということを教えるためのセンサーであって、他人のために我慢するためのものではありません。

 あるいは、「支配、被支配」関係の中に入っていかないためのセンサーでもあります。

 家の火災報知器は信じることができるのに、どうして大多数の人が、自分の感情のセンサーには、実に無頓着だったり鈍感だったりするのか、そのほうが、私にとっては不思議でなりません。

 人のことを気にするより、人のことを分析するより、はるかに正確なのにもかかわらず、それを活用するどころか、それを捨て去って、どうやって自分を守ることができるのでしょうか。

 私たちの肉体は、さまざまな痛みを知っています。
 少しでも肉体に変異が起こると、痛みが走ります。

 しかも、痛みの種類となると、数え切れないほどでしょう。

 では、精神的変異は、どこで知ればいいのでしょうか。
 それが感情です。

 肉体的痛みが体の異変をあらわすセンサーの役割を担っているように、感情は、精神的変異を表すセンサーです。

 ぼやが起こっているとき、その火を消火しようともせず無視をすれば、火が大きくなるのは当たり前ではないでしょうか。

 もちろん、ぼやは水で消すことができます。けれども、感情のぼやは消し方を知らない人が圧倒的です。

 知らないからといって、感情のぼやは、火が勝手に鎮火してくれるわけではありません。
 感情の火が拡がらないためには、ぼやになったとときの消し方を、学ぶしかありません。
 ぼやになる前のであれば、尚、理想的でしょう。

 是非、最新刊を読んでいただきたいのですが、私たちの日々のこんな感情が、いかに自分の人生をつくっているかが、理解できるに違いありません。

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