でも、負けたくないんです
戦っている人たちに、自分中心の捉え方をして、争いに乗っていかない方法を提示すると、ほぼ、
「でも、負けたくないんです」
と答えます。
「争わない」ということは、イメージでシミュレーションすると、そんなふうに感じてしまうのでしょう。
けれども、その言葉がまさに、
「争いに乗っていかない。自ら降りる。争いを回避する。自分を守る」
この方法が、「負けた感覚にはならない」という経験がないということの証左です。
実際には、自ら、争いから降りる。あるいは、争いそうになる気配を感じたら、やめるという「能動的な行為」は、むしろ、誇らしい気持ちになります。
相手より、自分の意識レベルが数段も上。戦うほどのこともない。自分が戦うべき相手ではない。戦うことに価値を見出せない程度の相手。
そんな気分になるでしょう。
自分の中に暖かい気持ちがあれば、親が我が子を見守るような、拙い者に対する慈しみの心が湧いてくるでしょう。
先手必勝と言う言葉があります。
自分中心的見方ができれば、相手とどういう関係になっていくかが見通せるのですから、
「話をしていても、無駄。どうせ、争いに発展するだけだ。争いなれば、自分が不快になる。自分が傷つくことになる」
とわかります。
そうならないために、先手を打って自ら「自分を守る」という行動を起こし「必勝する(負けない)」わけですから、気分的には、負けた気分にはなりようがありません。
そもそも、「戦う人」は、本当に勝つことができるのでしょうか。
まず、「戦う人」はすぐに感情的になります。
それは、どうしてでしょうか。
その一。それは、相手に勝っても、感情が解消しているわけではないから。
その二。相手と戦って仮に勝ったとしても、「勝った!」という、心からの満足感を味わうことはできない。
その三。仮に勝っても、その自覚がない。気分的には負けた気分で、仕返しを狙っている。その仕返しで、多少、相手に仕返しをしてほくそ笑んでも、その気分は長続きしない。すぐにまた、相手が元気そうな態度をしていると、それだけで腹が立ってくる、というふうに際限がない。
つまり「戦う人」は、口では負けたくないと言いながら、その実、すでに「負けた気分でいる」のです。
負けた気分でいるからこそ、勝ち負けにこだわって、
「負けたくない」
と言っているのです。