小さな場面にこだわる理由

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27日(火)のブログの原稿更新は都合によりお休みします。
次回の更新は3月2日の予定です。

 私が小さな場面を大事にしたほうがいいと、自著などで述べていても、どうしてそんな小さな場面にこだわるのかわからない、と思う人もいるのではないでしょうか。

 そんな小さな場面が、いったい何の役に立つのだと。

 実際、多くの人は、一つの場面なんて、毎日、瞬間瞬間のことですから、何気なくやり過ごしてしまうでしょう。

 ある一つの場面で、ちょっと傷ついた。ちょっと哀しかった。ちょっと落ち込んだ。ちょっと嬉しかった。ちょっと満足した。

 こんな感情が起こったとしても、それに気づいて改めて立ち止まらない限り、次の場面になると、もう、すぐに消え去ってしまいます。

 けれども、そんな「ちょっと〇〇」が起こったとき、まさにそこに、自分の人生が集約されているとしたら、どうでしょうか。

「ちょっとの感情」も「とてもつらい感情」も、もしかしたら、出所は一緒で、「ちょっとの感情」も「とてもつらい感情」も同じパターンを繰り返しているのだとしたら……。

 ミクロの視点からみると、私自身、笑ってしまいたくなるほど同じパターンを繰り返していることに気づくことがあります。

 もしあなたが、どんなに考えても、どういう試みをやっても、うまくいかない、という経験があるとしたら、それは場面こそ違い、同じパターンを繰り返してるからなのかもしれません。

 問題が起こっても、やり過ごせば「何となく、解決してしまった」かのように錯覚してしまうことがあります。

 例えば、夫婦喧嘩をしても、何日かすると、何事もなかったかのように元の生活にもどっている、というのも一つのパターンだと言えるでしょう。

 これは「喧嘩して、しばらくすると元の鞘に収まる」というパターンです。ですから、これを、「喧嘩をしない」というパターンにすることはできません。

 喧嘩をしないためには、まずはその「喧嘩になるパターン」に気づく必要があります。

 しかも、そのパターンは、大喧嘩であっても小さな喧嘩であっても同じです。

 だから、小さな場面のうちに気づいて、それを修正したほうがいいと言うのです。