つながっている

つながっている

 自分中心セミナーの個人セッションをしているときでした。受講者の男性の方は、何度も受講されています。
 人間関係というのは、すべて、「私と相手」の「関係性で成り立っている」というのは、もう、定番です。

 人間関係だけでなく、自分が頭の中でいろいろな想像をしているとき、誰かのことを想起したり、あるいは「理想の自分」を想起しているときがあるとしたら、これも人との関わりという意味では、多くの問題や悩みが人間関係であると言っていいかも知れません。

「関係性」であるということは、その場面というのは、互いの関係でつくり出しているということです。

 それに気づかずに、相手ばかりを見ていると、相手ばかりが悪いように見えます。

 相手ばっかり見ていると、何としでも相手を変えようとするために、相手を抑えつけようとする支配関係になっていくでしょう。互いに勝ち負けを争えば、戦ったり傷つけ合ったりすることになります。

 では、自分ばっかり見ていると、どうなるでしょうか。
 否定的な気持ちで自分ばっかり見ていると、自分が世界一劣っているように思うでしょう。

 自分中心というのは、自分に意識を向けて、自分を感じるということです。

「自分ばっかり見ている」というのは、一見、自分中心のように感じますね。

 けれども、「自分ばっかり劣っている」という捉え方は、自分を見ているようで、実際には見ていません。

 自分を見るとき、その見方が「架空の相手がいて、その相手の目に、自分がどう映るか」というような発想であるためにこれも、まったく自分を見てないと言っても過言ではありません。

 こんな「関係性」で言えば、自分と相手との関係が「支配関係」であれば、相手と勝ち負けを争うことになっていきます。従いたくなければ、熾烈な争いとなります。負ければ、相手に従うことになります。

 では、「自分ばっかり劣っている」というのはどうでしょうか。
 これは、「架空の自分」と戦っています。
 やっぱり、支配関係です。しかも、架空の相手、理想の相手と戦うのですから、絶対に勝つことのない相手です。

「関係性」で言うと、相手を変えることはできません。「支配関係」では尚更です。

 ですから、こんな支配関係から降りるには、自分自身が変わるしかない、という話をしているときでした。

 自分が変われば、相手が変わる。
 だから、自分を変えたほうが早い。

 こんな話をしたとき、彼が、
「じゃあ、みんな、繋がっている、ということなんですね」
 と答えました。

 その言葉が、とても新鮮に聞こえました。

 関係性の話で、こんな肯定的なコメントをして人は、初めてでした。

 そしてまた、関係性ということを、彼自身が、肯定的な捉え方をしたということも、嬉しく感じました。

「そう、私と相手は繋がっている……」

 相手と争うことで繋がることもできれば、肯定的に繋がることもできます。

 私と相手が繋がっている。
 とても温かい響きですね。

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