求めても求められてもトラブルになる

求めても求められてもトラブルになる

 多くの女性が相変わらず女性、自分が自分を愛するよりも、相手に愛されたいと望みます。女性雑誌や本もまた、相変わらず「愛されるために」の特集を組んでいます。

 確かに、
「相手に頼りたい。守ってもらいたい。支えてもらいたい。ずっと甘えていられたら、どんなに幸せだろう」
 などと思ったり、そんな願いが叶っているイメージをすると、幸せな気分になれるでしょう。

 男性だと、無意識ではそう願いながらも、頭でそんな思いを否定して生きているのかもしれません。

 本当は、望んでいることは同じです。

 男性と女性はその方法が異なるだけであって、男性は「俺に言うことに従え」というやり方が多いというだけです。

 けれども結局は、どんなにつらくても、誰もが、自分の力で歩くことを欲しています。

 それは、相手がどんなに自分を愛してくれても、愛されて嬉しいと感じていても、それだけでは決して満足しないからです。

 相手が、自分の甘えたい気持ちに答えてくれれば、そのときは安心するでしょう。
 けれども、それを続けていくと、どうなっていくでしょうか。

 まず、自分自身は、どんなに相手が善意や好意でやってくれていても、「相手に悪い」という気持ちが起こります。と同時に、自分を注意深く観察すると、自分が自分に下す評価が下がっていくのを感じるでしょう。

 一方の相手はどうでしょうか。

 相手も、どんなに愛していても、善意があっても好意があっても、あなたに尽くすことに限界を覚えます。
 最初は歓びでやっていても、それをだんだん苦痛に感じていくでしょう。

 どうして苦痛となっていくのでしょうか。

 あなたに尽くすことを、相手が自分に課したとき、あなたに支配されているように感じるからです。

 では、そんな問題を一気に解決するには、どうしたらいいでしょうか。適切な方法をしらない人たちは?

 そうですね。
「トラブルを起こす」
 のです。

 しかもあの手この手と、無意識は巧みにやってくれます。
 ここが、人智に及ばないところです。

 映画などで、好き合っている恋人同士が、諸々の問題で別れたり再会したりしていても、最後に結ばれるという結末になるときは、どちらも精神的に自立している状態になっています。

 映画も、人間の無意識が働いているのですから、当たり前と言えば当たり前のような気がします。

 だから、そんなトラブルをトラブルとして捉えずに、
「ああ、そうか。互いに自立したいんだなあ」
 というふうに捉えると、自分の足で歩こうと決断しやすくなるのではないでしょうか。

 もちろんそれは、自分を取りもどすためです。

 それほど、私たちは、自分の手で、自分を満たすことを目指しているし、また、その歓びを知りたいのです。

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