こっちの水よりもあっちのお水のほうが(1)

(1)

 過去や未来に心が飛んでいると、他者中心になって、目の前のことより、目の前で起こっていること以外のほうに意識が向いていきます。

 そのために、絶えず外側や遠くに恋い焦がれているような気分で、
「どこかに幸せがありそう」
「あっちのほうが、よさそう」
 という意識になっていきます。

 こっちの水はどうだろう。あっちのお水はどうだろう。いやいや、もしかしたら、もっと甘い水があるかもしれない。

 ある女性(仮にAさんとしましょう)は、とても親しいと自分が思っている人(Bさん)から、こんな相談をされました。

 Bさんは、ある趣味の集まりで、素敵な人と出会った。自分のほうから、話しかけることができない。その人は、他の人たちも慕っていて、いつも、誰かが側にいる。あの人とは親友になれそうだ。親しくなるには、どうしたらいいだろう。
 要約すると、こんな内容でした。

 相談されたAさんは、言葉でこそ口に出して言いませんでしたが、自分とBさんとはとても親しい間柄だと思っていたために、そんな相談を受けて、軽くショックを受けました。

 それでも親身になって、Bさんの相談に乗っていました。

 けれども繰り返しそんな相談を受けているうちに、Aさんも、Bさんについて悩みはじめました。

「私はBさんを親友だと思っていた。けれどもBさんは、そうは思っていないようで、ほかの人を親しくなりたいと、そんな相談ばかりしてくる。自分って、Bさんにとって、どういう存在なのだろうか」

 そのとき自分中心のことを本で知ったAさんは、「関係性のメカニズム」に気づき、Bさんとの関係を意識して見直しはじめました。

 Aさんの心の中では、すでに変化がはじまっています。

「あっちの人がいいかも」
 そんな他者中心意識のBさんは、やがて、Aさんが去って行ったとき、気づくでしょう。

 自分の眼の前にいて、自分に関心をもってくれたAさんこそが、「お互いに大事にし合える」相手であったということに。

 でもそれは、Bさんが、「自分の眼の前にいる人の存在」の貴重さに気づいたというわけではありません。

 Bさんにとって、Aさんが「あっちの人」になってしまったために、
「ああ、ほんとうは、あっちの人(Aさん)のほうが、よかったんだ」
 ということなのです。

 ですから、もし仮にAさんが、Bさんにとって「目の前の人」にもどってしまえば、やっぱりBさんは「あっちの人」を探しはじめるに違いありません。

 つまりBさんは、目の前の貴重な人には気づかずに、誰といても「あっちの人」に憧れることに変わりはないのです。