依存する人、される人
依存している人、依存されている人との間でトラブルが起こるのは、本当は、悪いことではありません。
ただ、トラブルが起こったときに、その対処方法を知らないと、そのトラブルによって、いっそう依存関係を強化してしまうでしょう。
その前に、無意識の世界では、どういうことが起こっているかを、考察してみましょう。
依存されている人にとってのトラブルは、依存されている状態がつらくなっていて、それを言葉で言うことができない。断ることができない。でもそれは「やり過ぎですよ」と、無意識が危険信号を発しているということです。
そのトラブルは、無意識の視点から言うと、もちろん、依存している人も同意しているからです。
例えば、依存している人は、
「いつもお世話になっている。甘えてばかりいる」
という罪悪感や自信のなさから、
「ほんとうは、もう、そこから抜け出したい」
という欲求だったり、それゆえの抵抗だったりします。
依存している人を、依存される人が支えれば支えるほど、依存する人は物質的経済的には「得する」けれども、それに反比例して、自分自身の価値や自信を落としていくという点では、「損する」と言えるでしょう。
そのために、これ以上、自分を無力にしないために、トラブルを起こして自立するようにと、無意識が促すのです。
依存されている人は、
「もう、支えるのは限界だ。もう、そろそろ自分の足で歩いてほしい。私もう、やめたい」
というメッセージです。
依存されている人も、依存する人に“依存している”ことには、変わりありません。
依存されるという形で、依存しているのです。
依存されていたほうが、依存されている人は、依存する人と離れないで済みます。しかも、自分が表面的には、優位に立った形で。優位に立っていれば、相手から見捨てられる恐れは減ります。
それが、依存されている人のメリットです。
トラブルは、こんな依存関係から、そろそろ、足を洗いたいね、という双方からのメッセージとして起こっています。
トラブルというのは、こんなふうに、どんなものであっても、ほんとうは、決して自分にとって悪いことではないのです。