人が協力したくなるとき
いつも言っていますが、何でも一人で解決しようとすることが自立ではありません。
一人で解決しようとするのは、他者に頼むことを恐れている人たちです。
「頼んでも断られたらどうしよう」
と、断られて傷つくことを恐れているからです。
頼むことができないのは、断られると傷つくからだけではありません。
どう伝えたらわからない。頼み方がわからないという理由もあるでしょう。
もっと掘り下げれば、頼み方がわからないのは、自分自身が、全体の状況や状態を把握できていないからでもあります。
では反対の立場である、依頼される側としてはどうでしょうか。
依頼されたとき、相手によって、あるいは頼み方によって、引き受けたい気持ちになるときと断りたくなるときがあります。
たとえば、依頼する側が、さも、
「協力してくれないかなあ。協力してほしいなあ」
と依存心を抱きながら相手に期待する気持ちがあると、依頼されたほうは引き受ける気持ちになれません。
それは、相手を無責任に感じたり、丸投げされるような気分になって、それを恐れるからです。
こんなとき、依頼する側も実際に、何をどう依頼していいかわからずに途方に暮れています。
頼もうにも、自分自身が、どこまで自分ができて、どの部分を依頼したいのかが具体的にわかっていません。
気分的には、相手次第では、全部引き受けてもらいたいという丸投げ状態の意識で、頼みたいと思っています。
依頼される側はそんな意識をしっかりとキャッチします。
だから、引き受けたくないし、自分から、「協力しましょうか」とも言いたくないと思うのです。
他方、依頼されなくても、協力を申し出たくなったり、引き受けたくなる場合があります。
頼まれてもいないのに協力を申し出たくなるのは、他者に対して、
「誰かなんとかしてほしいよ〜」
という依存的な気持ちではなく、
「ここまではできる。できない部分は、自分が責任をもって、あるいは時間をかけて努力しよう」
という意志をもった決断が感じられるときです。
「あれ? 自分でやろうとするのは、自立ではないと、言ったじゃないか」
と思うかもしれません。
その違いは、この点です。
自分が責任をもってやろう。時間をかけてやろうという人たちは、実際には頼まなくても独力でやれる人たちです。
けれども、そんな人たちは、仮に依頼するときには、責任をとることができる人たちであるために、
「私自身は、この部分からこの部分はできます。協力していただきたいのは、このAの部分ですが、いかがでしょうか」
と、具体的に提示できます。
もちろん、丸投げするような依存的な態度はとりません。
相手に対しても、“自分の責任”として依頼することができる人たちなのです。
状況を具体的に把握できて、依頼するにしても、責任は自分にあると自覚できていると感じさせる人であれば、引き受ける側は、頼まれなくても協力を申し出たくなるのです。