巧みなコントロール

 例えば、ある大きな話が進んでいます。
 けれども、自分はその中に入っていません。
 何の相談もなく、相手によって進みます。
 あとで、
「いま、これをやる予定だけど、あなたが参加してくれないと、困るんだ。だから、来てください」
 と、後で日時だけを知らされることになる。
「でも、その日は、予定が入っていて、無理です」
 と言えば、
「もう、業者さんたちも頼んでいるから、変更できないんですよ」
 こんなふうに言われると、
「すでに業者さん(第三者)が入っている。自分が行かないと、みんなに迷惑をかけてしまう」
 と思ってしまうでしょう。

 そのとき断ると、自分がその予定をダメにしまったような気がして、罪悪感が起こるでしょう。

 では、もしあなたが断ったら、相手はどう思うでしょうか。
「そうかあ。自分たちが一方的に決めてしまったから、断られても仕方がないなあ」
 と反省するでしょうか。

 それとも、
「それじゃあ、困るんですよ。もう、すべて準備万端整ってしまっているんだから。もしあなたが、断ってしまったら、予約のキャンセル料が発生してしまうんですよ。他の方々にも迷惑が掛かるし」
 と言いたくなるでしょうか。

 自分の主張を通すために、すべてが整ってから、相手に知らせる。

 こんなふうにすれば、相手は断りにくくなります。

 そしてまた、相手が仮に断ったとしても、
「この話が進まなくて人に迷惑を掛けてしまったのは、あの人が断ったからだ」
 と、相手のせいにできるでしょう。

 どっちに転んでも、自分の主張が通るか、通らなくても「相手が悪い」というふうになる。こんな巧みなコントロールを、無意識にやっている人たちが少なくありません。

 自分自身が、「選択の責任」を知らないと、こんなコントロールに嵌まってしまって、自分のほうが罪悪感でいっぱいになってしまうでしょう。