居場所がない

居場所がない

 家に居ても職場に居ても、親しい人と居ても家族と居ても、「自分の居場所がない」と感じたことがありませんか。

 実はこれも、とても大雑把な捉え方です。
 物事を観念的に捉えてしまうと、満足というのはあるのだろうか、と思ってしまいます。

「私の居場所がない」とつぶやくとき、それは24時間、明日も明後日も、永遠に居場所がないような気分になっています。

 それは逆の言い方をすると、「24時間、明日も明後日も、居場所がある」ことを目標にしていて、それが100パーセント達成できなければ、「居場所がない」と規定する、と言っているようなものではないかと思ってしまいます。

「思考」というのは、つくづく限界があると感じます。

「思考」で「どこにも居場所がない」とつぶやくから、居場所がないように感じてしまう。

 では、「居場所がある」とつぶやくとどうでしょうか。

「あれ、居場所がない、なんて、ほんとうかな?」
 ほんの少し、そんな疑問が生じませんか。
 そして、「もしかしたら、あるかもしれない」という気分になって、少し自分の居場所を探してみたくなりませんか。

 例えば職場で、同僚に対して何でも引き受けてしまって苦しい気持ちになっていた。けれども、今日は、断ることができた。
 この瞬間、「自分の居場所を確保した」ことになります。

 誰かが自分のことを相談すると、相手が自分の持ちを理解してくれて、嬉しいと感じた。
 その時間が30分であっても、その30分は居場所があった、ということになります。
 そのときあなたが「ありがとう」と感謝すれば、感謝の気持ちが持続して、その時間の分だけ、「居場所がある」時間が延びます。

 そうやって居場所がある時間がどんどん増えていけばいいのです。

 思考に囚われてしまうと、つい、それが100パーセントのように感じてしまいます。

 思考で、
「私は、孤独だ」
「私は、運が悪い」
「私は、何をやってもダメだ」
 などと観念的に考えるよりも、具体的に「孤独ではなかったとき。運がよかったとき。うまくいったとき」を探してほしいものです。

powered by HAIK 7.1.1
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. HAIK

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional