相手の言葉なんて真に受けるな!  1

 相手の言葉に乗るな!
 これは、常々言っていることです。

 最近、人の心がとんがっていて、争い方も激しさを増している最も大きな原因の一つが、この「相手の言葉に神経を尖らせていて、敏感に反応する」ということではないかと感じています。

 心は形に見えないと思っている人が多いでしょうが、私には、心もそのメカニズムも、実に精巧に構成されていて、肉体のように精密な構造に従って動いているように思えてなりません。

 例えば他者中心の人は、相手の言葉に反応しがちです。

 まず、「他者中心」というのは、自分の心を観察したり感じたりするよりも、他者を見ています。

 外側を見ているので、頭の中も心の中も、他者や外側のことで占められていて、その中に自分が居ません。

 では、他者を見ている状態のとき、自分自身が、他者をどういうふうに認識しているでしょうか。
 大きく分ければ、2つに分けることができます。

 他者に対して、好意的な気持ちを抱いている。
 他者に対して、否定的な気持ちを抱いている。

 もちろん、好意的か否定的かは分量の問題ですが、仮に100パーセント否定的だとしましょう。

 他者を見て、他者に否定的であれば、そこでもう、「発する言葉」も決まってきます。

 その中には、
「あなたが大好きです」
 と言う言葉なんてありません。

 あるのは、
「なんであなたは。どうしてあなたは」
 といった、相手を責めたり否定したり攻撃したりする言葉です。

 それに伴う行動も同じです。
 相手を敵だと認識するために、それに応じた行動をするでしょう。

 とりわけ現代は、情報社会です。
 感情や感覚よりも、言語が主体です。
 映像も、感情に響く前に流れてしまいます。

 相手を見ながら、相手を否定的に見て、言語に焦点が当たる脳が発達しているとしたら、相手が話す言葉の中から何を探すかと言えば、否定的に聞こえる言葉です。

 あるいは、何気ない言葉、他愛ない言葉であっても、否定的な言葉として歪めて聞くでしょう。
 客観的にはそうでなくても、「自分をバカにしたり、責めたりしている」ように聞こえます。

 相手の言葉が気に障るからといって、その言葉に、互いに反応し合っていけば、争いが起こるのも当然のことでしょう。

 こんなふうに、心も数式化できます。

 自分の気持ちに気づかずに、自動的な生き方をしている人ほど、知らずのうちに「自分の設定した通り」の意識で動いては、争ってしまうのです。 (つづく)