理解してほしいだけなんです

 相手と戦うことを望んではいないと言いながら、やっぱり争いになってしまう人がいます。

 本人は、
「わたしのことを理解してほしいだけなんです」
 と言います。
 けれども、会話をつづけていくと、否定的な気持ちになったり、結局は争いになってしまう、という人が少なくありません。

 それは、相手に理解を求めること自体がすでに、戦いになっているからなのかもしれません。

「そんなことはありません、私は人と争いたいと思っているわけではありません」

 けれども、相手に理解を求めるというのは、別の見方をすると、相手の自由を認めてないということでもあるでしょう。

 前出の会話の続きです。
「はい、確かに、顕在意識ではそうですね。わざわざ戦いたいとは思わないでしょう。けれども無意識は違います」
「そうでしょうか。そんなことはありません。私自身は、戦いを望んでいるわけではありません。心から争いたくないと思っています。ただ、私は、自分のことを理解してほしいだけなんです」
 と食い下がります。

「ええ、そうですね。そこなんです。いま、そうやってあなたは必死になっていますね。それが、すでに戦うモードになりつつあるという前兆だと言えるんです」
「えッ、必死って。必死になんかなってませんよ。私はただ、理解してもらいたいと思っているだけですよ。それがいけないって言うんですか。そんなこと言ったら、もう、何も話すことはできないじゃありませんか」
 こんなふうに、だんだん戦いモードになっていくでしょう。

 では、これはどうでしょうか。
 初めは一方が、理解を示す会話になっています。

「はい、確かに、顕在意識ではそうですね。わざわざ戦いたいとは思わないでしょう」
「ね、そうでしょう。私は、心から争うことを望んではいません。ただ、私は、自分のことを理解してほしいだけなんです」
「そうですね。わかります。争わないで理解し合えたら、どんなにいいでしょうね」

「でも、そうなるには、どうしたらいいんでしょうか」
「理解し合うためには、相手を認めることですね」
「え、どうやって認めるんですか」
「相手があなたを理解してくれなくても、それを認めることです」
「でも、私は、自分のことを理解してもらいたいんですよ」
「はい、わかります。けれども、理解し合う関係になるには、相手が理解してくれないことを認めることでしか、理解し合えないのです」
「それでは、納得できません。じゃあ、どうすればいいですか」
 というふうに、やっぱり戦闘モードになっていきます。

 どんな言い方をしても、「相手が自分を理解してくれるまで」を求めつづける会話は、終盤には戦闘モードへと発展していくようですね。