同じ光景を目にしたとき(1)

同じ光景を目にしたとき(1)

 同じ光景であっても、誰一人として、同じ光景をみているわけではないと、改めて思うことばかりです。

 自分中心セミナー等を実施しているとき、同じ場面をどう解釈するかを一人一人に聞いてみることがあります。
 もちろん見方、捉え方は人それぞれに異なります。

 また、カウンセリングのときにも、
「私はこういうことを伝えたいけれども、この人は、こんなふうに解釈するのか。この人の目には、そんなふうに映るのか」
 などと、その違いに瞠目させられることも少なくありません。

 私たちが外界をみるとき、自分の目を通して見ます。
 その目には、すでにさまざまなフィルターがかかっています。

 自分たちは、自分の目に映る物を正確に把握しているように思っているかもしれませんが、そうではありません。

「自分が存在するはずがない」と強く思い込んでいれば、目の前に、それが存在していても、見えないことがあります。

 逆に、催眠で、存在しないものを存在しているかのように見せることもできます。

 そのフィルターの大元は、思い込みです。
 つまり「思考」です。

 実際のところ、そんな思い込みだけでなく、私たちの脳の情報処理の方法一つとっても、まだまだ解明されているわけではないので、ほんとうに私たちが実在するものを事実通りにみているのかどうかすら、疑いたくなってしまいます。

 それはともかくも、頭で解釈すると、一つのことに対して、さまざまな解釈をします。
 どう解釈するかは、自分の基本的な設定によってかなり違ってきます。

 例えば、物事を「私が悪い」という基本設定にすれば、起こっていることすべてを、思考で「私が悪い」まで導いていって、自分を責めることができます。

 物事を「相手が悪い」という基本設定にすれば、すべてのことを相手のせいにして、相手を責めたり攻撃したりすることができます。
(根本的には、自分を責めても相手を責めても同じことなんですが)

 だから、もしあなたがAについて語っていて、それを相手に理解してもらおうとしたとしても、相手は正確にAについて理解することはできないでしょう。あなたは相手に伝わっていると思ったとしても、相手はB、あるいはCと解釈してかもしれません。

 どんなに、
「自分をわかってほしい。相手が自分のことを理解してくれれば、満足できるんだ」
 と望んだとしても、それぞれにフィルターがかかっているのですから、自分が満足できるような答えや反応や行動をしてくれるわけがありません。

 逆に、やりとりを繰り返せば繰り返すほど、それぞれのフィルターを通して解釈するために、そのすれ違いはさらに大きくなるでしょう。

 それよりもすでに、
「相手は、私のことを理解してくれるだけの能力をもっている」ということそのものが、すでにフィルターのかかった強い思い込みかもしれません。

 そうであるなら、どんなに相手に「私の望むように、満足するように理解してほしい」と求めたとしても、それが得られないのは道理なのではないでしょうか。

 ところが、面白いことに、「感じ方」は、少なくとも「思考」よりはるかに正確です。 (つづく)

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