認められるよりも愛されるよりも

 大半の人が、他者に認めてもらったり、愛されることを望みます。
 もちろん、「他者に認められたり、評価されたり、感謝されたり、誉められたり、賞賛されたりする」ことで得られる充実感や満足感もあります。

 また、他者よってもたらされる満足感や歓びを目指す人たちのほうが、「自分が自分のために感じて味わう」満足感や歓びよりも、圧倒的に多いかもしれません。

 けれども、このどちらも、他者が自分と別個の人間である限り、相手によって自分の望みが心から満たされたと感じることはないでしょう。

 愛という点で考えてみれば、それはよくわかることです。

 相手から愛されて心から満足している状態というのは、どういう状態でしょうか。
 例えば、不可能なことですが、仮に相手があなたを100パーセント愛しているとすれば、自分も100パーセント満足するでしょうか。

 イメージでは、相手が自分を100パーセント愛してくれたとしても、自分の中に1パーセント疑念が生じれば、99パーセントになります。
 自分の中に30パーセントの疑念が生じれば、70パーセントの満足になります。

 逆に、相手が70パーセント愛してくれても、それを自分が100パーセントに感じとしたら、そこには100パーセントの愛があります。

 これは言い換えれば、自分が相手の言動を、どう感じるか。その感度の問題だと言えるでしょう。

 もし自分自身に対する自己評価が低ければ「他者に認められたり、評価されたり、感謝されたり、誉められたり、賞賛されたりする」ことがあっても、素直に「嬉しい、幸せ。満足」といったポジティブな気持ちにはならないでしょう。

「なに、それ」と冷ややかな眼でみたり、お礼を言われても、
「心にもないことを言っている」
 と僻んだり、誉められても、
「また、そんなお為ごかしを言ってえ。腹の中では、私をせせら笑っているくせに」
 などと心で否定していれば、決して満足することはないでしょう。

 自分が満足するかどうかは、ひとえに、自分の感じ方によって決まるのです。
 だとしたら、それを相手に求めるよりも、自分の「感じ方」の感度を高めていったほうが、より満足できる人生にできる、ということです。