何もしたくないのは「怖い」から
単純に、他者中心の意識で他者をみていると、それだけで否定的な思考をしてしまったり、怖くなったりしやすくなります。
相手に対して、肯定的な気持ちを抱いていなければ、当然のことです。
親子関係で、肯定的な関わり方ができていなければ、他者に対して肯定的な気持ちを抱くのが難しくなります。
また、他者をみて、「我慢しなければならない」というふうに思ったら、さらに怖くなります。
例えば、職場に行くのがつらい、何かをするのがつらい、というとき、その中には、明らかに「恐怖」があるのですが、それすら自分で気づいていない人たちも少なくありません。
「〜するのがつらい」
「〜する気持ちになれない」
「何もする気が起こらない」
といった人たちは、自分の気持ちや欲求を満たすことをしてこなかった人たちです。
耐えず頻繁に「我慢することはない」と言っていても、まだまだ、大半の人たちが我慢しています。
まだまだ、我慢しなくていいのです。
我慢しなければトラブルが起こると信じている人も、ひとまずそれは脇に置いておいて、もっともっと我慢しなくていいんです。
自分ひとりでできることであれば、我慢しないこともできますが、こと人間関係においては、自分を抑えて相手を優先してしまうことが少なくありません。
けれども、もしあなたが、自分の気持ちより、相手を優先したとしたら、その我慢が、数千万分の1の「〜するのがつらい」の素となります。
「本当は、ちょっとイヤなんだけど、ここはちょっと我慢すれば、相手も変わるかもしれない」
それが自分にとって数千万分の1であれば、そんな我慢を繰り返していても、それほど苦にならないと感じているかもしれません。
けれども、そうではありません。
その数千万分の1が、どんどん蓄積していったとき、自分では自覚できないとしても心理的には“怖い”となって、やがてそれが「〜するのがつらい」「何もしたくない」「動きたくない」というふうになってしまうのです。
(つづく)