「傷つけ合う」に近づいて行く人、離れて行く人

 理想は、傷つけ合わない関係のほうがいいのだけれども、どんな場合も、多かれ少なかれ、そんな出来事は起こります。それを少なくすることはできますが、まったく起こらないようにすることは、不可能です。
 それは前提にしておいたほうが、逆に、対処しようという気持ちになります。

 ただその対処方法として、「傷つけ合う」状態、あるいは「傷つけ合うかもしれない」状態にあるというとき、さらに傷つけ合うために近づいて行く人と、傷つかないために離れていく人がいます。

 心に争う気持ちがある人ほど、「傷つけ合う」相手に近づいていくでしょう。

 とりわけ、争いになる可能性が高い相手にも、誰彼構わず、「自分が傷ついたから」という理由で、さらにいっそう近づいていって、争おうとします。
 戦う気持ちがあるから、自ら「戦う相手、傷つけ合う相手」に、感情的に近づいていきます。

 では、「争わない人」が傷つかないかといえば、昨今の時代では、争わない人も傷つくことは多いでしょう。
 むしろ、争わない人が、相手に対して友好的な態度を示すとしたら、逆にそうすることで、傷つくことが起こるかもしれません。

 というのは、いまの社会においては、誰もが警戒心を抱いているからです。
 そのために、もしかしたら、友好的な態度であるがゆえに、却って相手が警戒して、否定的な態度をとられて傷ついてしまう、ということもあるからです。

 それでも自分の気持ちを大事にできる人は、
「傷つけられるような相手とは付き合いたくない」
 と、自分を傷つけないために離れることができるし、親しくなりたいと努力しても、繰り返し傷ついてしまうのであれば、親しくなるのは難しいと判断して、少しずつでも離れていくことができるでしょう。

 反対に、
「傷つけられたら仕返ししてやりたい」
 と思ってしまう人は、傷つけ合う相手と、どんどん近づいて行きます。

 相手をやっつけてやれば、どんなに気分がいいだろうか、などと考えて、その姿をイメージすれば、心が晴れ晴れとするように思えるかもしれません。

 他方、傷つく度にだんだん離れていくというのは、イメージ的には、負けて悔しいというふうに思えるでしょうが、実際は違います。

 心の中のさっぱり感では、後者のほうが数倍もスッキリします。

 この「傷つく度にだんだん離れていく」というのは、自分をみている状態です。

 そのために、相手に対して接する自分のほうに焦点が当たっています。
 だから「離れよう」と決断できたときも、「自分を大事にしながら努力した」ということに価値を見出したり、そんな自分に満足できるからです。