愛を感じる感度が育ってきたから

愛を感じる感度が育ってきたから

 ある女性から「今、とても悲しくて、体の中が悲しさでいっぱいです。昨日、娘と電話で話しをしていたら」という言葉ではじまるメールをいただきました。大きな問題が発生したわけではありません。メインの話は約束の時間を変更したいというだけだったのですが、電話を切ってしばらくすると、怒りがお腹の中から湧いてきたのだそうです。

「それは、私は大切にされていないという感情です。私は一度予定をしたことを変えられることがとても怖いのです。拒否されてしまったと感じるのです」
 それは、子供の時に、母親から何回 も何回も約束を破られたということがあったからと言います。そして、

「お母さん、私を見て、愛して、抱きしめて、大切にして」
 と感じていたことが、今回の娘とのことでわかったと言います。
「私は誰でもない、母に愛されたいのです。だから、代わりに娘に依存したのですね。その娘が離れてしまい、とても寂しい」
 というメールでした。

(返信)
 まずは、悲しくて泣きたくなったら、それを止めようとせずに、思い
っきり泣いてください。

 彼女の場合、「泣きたくなった」というのは、もしかしたら、以前よりも感情が育ってからなのかもしれません。

「泣く」というのは、感情を育てるためにも、とても大事なことです。

 大半の人が、自分に満足をもたらしてくれる相手を求めたり、他者に愛されたいと望みます。
 それが得られないと、「愛されたい、愛されたい」と、あたかも飢餓状態のように、飢えた気持ちを抱きながら他者に求める人もいます。

 そうしながらも、
「まだ、得られない。まだ、手に入らない」
 という気持ちに陥る人もいるでしょう。

 けれども、幸福感や満足感は、結局のところ、自分の「満足度や幸福度」の感度の問題です。
 いつも言っていることですが、そこに愛があっても、自分が感じられなければ、愛は“ない”も同然です。

 彼女の場合、いま、そんな感じ方をするのは、だんだん感情が育ってきたからです。自分に対する愛が育ってきているからです。

 以前だったら、それすら気づかなかったのかもしれません。
 昔は寂しい状況にあったとしても、寂しいと感じることも忘れていたのではないでしょうか。

 ですから、いま「母親に愛されたかった」という気持ちになっているのは、今、自分に対する愛が育っているからだと言えるでしょう。

 子供のころや過去にも、
「寂しい。愛されたい」
 そんな気持ちを抱いていたでしょう。けれどもそれは無意識のところで抱いているだけで、顕在意識ではいつの間にか、そんな自分の気持ちすら感じ取れないようになっていたのかもしれません。

「過去に愛があったかどうか」という点においては、仮にそこに愛があったとしても、自分がそれを感じとれない状態になっていれば、そこに愛はありません。

 ですから、過去を思って、いま「愛がほしかった」という気持ちになれるのは、本当は、いま、自分の「愛を感じる感度」が高くなったから。あるいは育ってきたから。あるいは、しっかりと施錠していた鍵が外れたから、ということなのかもしれません。

 そういう意味でも「いま」が大事なのです。

 過去のことを思い出した、
「お母さん、私を見て、愛して、抱きしめて、大切にして」
 こんな気持ちになるのは、実は、いま、自分の心が「愛を感じることができるようになったから」 
 ということなのです。

 ですから、もし過去に「愛がなかった」と思い込んでいる人がいるとしても、いま、あなたの“愛を感じる感度”が高くなっていれば、過去の出来事は変えられないかもしれませんが、過去の記憶の中に、愛を見つけ出すことができるかもしれません。

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  ◇妻が抱える夫ストレス
   夫が向き合うべきことを邪魔しない 1  石原加受子

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「妻が抱える夫ストレス」という本を、KADOKAWA から出しています。

 不定期メールでも少し紹介していますが、これは、妻の立場からみた「夫ストレス」です。
 けれども、妻がストレスを抱えているとしたら、同様に、夫のほうも、妻に対してストレスを抱えているでしょう。

 ですから、同じ場面を、妻からみたら「夫ストレス」ですが、夫の側からみたら「妻ストレス」ということになるでしょう。
 親子でいえば、「親ストレス」でもあるし、「子ストレス」でもあるでしょう。

 夫と一緒にいるのが苦痛。
 夫が家にいるというだけで、息が詰まってしまう。
 夫のモラハラで、別れたいけど別れられない。
 一緒にいると、どうしても激しい言い争いになってしまう。
 心が通じ合わなくて、寂しい。
 話の内容がかみ合わないので、話すことがない。
 夫が一方的に話をするだけの会話なんて、つまらない。
 寂しいのは通り越して、もう「夫なんて、いなくなってほしい」

 結婚生活の中で、誰でも一度は、こんな気持ちになった経験があるのではないでしょうか。

 そんな夫ストレスと抱く若い世代の人たちは、
「独身でいるときは、自由にやっていて、まったく問題がありませんでした」
 と言います。
 あるいは、
「職場では、まったく問題が起こりません。でも、家族関係ではダメなんです」
 と言う人もいます。

 詳細に聞くと、ほとんど人と接触しないで済む仕事だったり部署だったりしています。上司として一方的に支配的に指示、命令する立場の人も、一見“問題が起こっていない”ように感じるでしょう。

 簡単に言うと、人と協力し合わずにすむ状態であるときは、うまくいっているように感じるということです。

 けれども、互いに夫婦として一緒に暮らし始めると、事情が異なってきます。それは、生き方や価値観の違いだけでなく、家事の役割分担、細々とした生活様式の違いなど、実際に直面する現実的な問題に対して、話し合ったり、合意を得たり、協力し合ったりすべきことが沢山でてくるからです。

 とりわけ過去の夫婦の歴史は、「支配関係」で成立しています。
 夫婦関係は、例えば「夫が決めて妻が従う」のが当たり前の時代は、それで成立していました。
 飽くまでもこれは、「従うのが当たり前」だったら、争いもトラブルもなく成立していたのです。

 しかしいまの時代は、この基本がすでに崩れてしまっています。

 いまは、女性が黙って男性に従うことはないでしょう。
 逆に、従わなければならないと思っている人ほど、苦しんでいるでしょう。

 かといって、男性のほうも、家族全員の行く末を、自分が夫として支えなければならないと思ってはいないでしょうし、そう思っている人は逆に相当な負担を感じてしまっているでしょう。

 すでに形の上では崩壊していて、昔のような夫婦関係を維持することはできなくなっています。

 状況的に、もう、新しい生き方をせざるを得なくなっているのです。

 例えば、その新しい生き方ということの一つが、「妻、嫁」というレッテルを外すことです。

 夫婦関係から「妻。嫁」という言葉を外すと、見えてくるものがあります。    (つづく)

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