依存から協力し合うへ
自分中心になるということを、「甘えてはいけない。依存してはいけない」ということだと勘違いしている人がいます。
それはむしろ、反対です。
自分中心になると、甘えたり依存したりする自分を、受容できるようになります。
度々テーマに出していますが、自立ということを「甘えてはいけない」「依存してはいけない」ということだと思っている人が少なくありません。
それを自立だと信じている人は、「何でも自分一人でできなければならない」と思っているために、トラブルが起こっても、自分一人の力で何とかしようと踏ん張ります。
自分の手に余ることが発生しても、誰にも相談せずに協力も求めずに、何とかしようとします。
その結果、どうしようもなくなって、
「どうして、もっと早く相談してくれなかったんだ。もっと早い段階で相談してくれていたら、手の打ちようがあったのに」
というような事態に陥ってしまう確率が高くなるでしょう。
甘えてはいけない、依存してはいけないと思っていても、そう思っているが故に、できないことでも踏ん張ってしまいます。
そして、事態が悪化してしまったときには、他者が介入したり事後処理をせざるを得なくなるというふうに、結果として、甘えたり依存したりすることになりやすいということなのです。
他方、「甘えてもいい」「依存してもいいんだ」という気持ちを受容している人であれば、問題が起こったときには、大きくなることを未然に防ぐために、早めに相談したり手を打ったりしようとする行動ができます。
それを「恥」だとか、「自分には能力がない」というふうには思いません。
仮に恥だと思っても、未然に防ぐために行動できるでしょう。
むしろ、そうやって「行動できる」ことのほうが、自立です。
依存してもいい。甘えてもいい。
ただ、それを、「態度や表情」で相手の関心を引くというやり方は、言わばコントロールです。
他方、それをちゃんと言葉で意思表示して、相手に協力を求めたり助けを求めたりできることが、自立ということなのです。
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◇マイナスで関わる 石原加受子
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駅への道を、ゆっくりと、そぼ降る雨の空を見上げたり木々の緑や花を眺めながら歩いていると、途中から、子供をベビーカーに乗せて押しているお母さんと出くわしました。
彼女は、道路を隔てた反対側を、私より数歩前の距離のところを歩いています。歩調は、ほぼ一緒です。
子供は、ベビーカーの中で、始終泣き通しです。
お母さんの話を聞いていると、どうも子供が、どこかに行きたいと言って泣いているということのようでした。
鳴き声をあげる子供に、お母さんは、
「ダメ、雨が降るから、行かない、ダメ。ダメなの」
と「ダメ」を連発しています。
子供はさらに大声を張り上げます。
「ダメ、行かない。雨なんだから、お母さんが行きたくないの」
おっ、言い方としては、“行きたくない”と自分の気持ちを言っているなあ。
もちろん、ちょっと違います。目的は、行かないというよりは、「泣くな!」と叱っているのです。
当たり前のことですが、叱るのですから、泣き止むわけがありません。
「ダメって言っているでしょう。雨が降ってるんだから、ダメ。ダメ。行かないのッ」
そして、さらに勝手に怒り出します。
「ダメだって、言ってるじゃないのッ!」
私には、なぜ、急に怒鳴りだしたのかわかりません。
子供が泣き止まないので、腹が立ったのでしょうが、子供の泣き声にというよりは、自分の感情的な言い方に、いっそう怒りをかき立てられている、というふうに見えました。
これが「マイナスで関わる」ということの見本です。
子供が泣くという状態に反応して、母親が「ダメ」という言葉を連発していけば、子供は泣くという行為をいっそうエスカレートさせています。
泣いている子供に対して、
「今日は、雨が降るから、天気がいいときに行きましょうね」
と言えばいいことです。
(もちろん、言い方も重要です。子供が納得する言い方や態度、子供が納得しない言い方や態度があります。が、ここでは、これには触れません。)
仮に子供がそれでも泣いていたとしても、泣き声に反応しなければ、子供はすぐに泣き止むでしょう。
さらにもう一つ、子供の立場からすると、「ダメ、ダメ」と一言で否定されれば、子供は主張しても「ダメ」と言われると“信じる”ようになるでしょう。
言えば言うほど、強く否定されると信じ込むようになっていきます。
ここでもう、子供は「私の願いは否定される。主張すれば、いっそう否定される。そして叶わない」ということを学び、それが人生の土台になるかも知れないなと、そう思うと、少し残念な気持ちになりました。
信じられないかも知れませんが、こんな体験が子供の心に強烈に残り、あるいはそんなことが繰り返されていると、その経験が「人生の土台」になってしまうのです。
こんなふうに、人生の早期から、既に自分のテーマはあらわれていて、成長すれば、まさにこれがその人の「人生のテーマ」にもなっていくでしょう。