ポジティブな繊細さがない 1
心の傷が大きい人ほど、他者のほんの小さな言動に対しても敏感に反応して、そこに憎しみの矛先を向けていきます。
憎しみや恨みの海の中にいると、相手のどんな小さな表情も言葉の行動も、憎むため恨むための材料としかなりません。
そんな状態になっているときは、何をどう言っても、善意や好意や愛が通じません。
そんな人たちは、自分のそんな感情に、非常に苦しんでもいます。
憎むというのは、とてもつらいものです。
けれども憎む人は、その感情を取り払おうとしても、その術を知らないために、苦痛から解放されることがありません。
そんな憎しみの中にあって、刹那、苦痛から解放されたような気分になることがあります。
それは、復讐心を満たしたときです。
けれどもそれは、水の中にできる水泡のように快感を覚えたとしてもすぐに消えてしまう性質のものです。
またすぐに、苦しみの中に引きずり込まれていきます。
心の中に憎しみが巣くっているために、相手の言動や周囲の中に、自分を否定するものが一つでもあると、すぐにそれに敏感に反応します。
もちろん、それは勘違いのことも少なくありません。
そんな人に対して、庇う気持ちであって「繊細だから」という言い方をすることがあります。
けれども率直に言うと、正確ではありません。
例えば相手の悪意がない態度や表情に、悪意を“繊細に感じる”としたら、そこには「思考で色づけ」されたものがあります。
「あの人は、私を心の中で軽蔑しているに違いないんだ」
「あいつは、心の中で俺を嫌っているんだ」
というふうに、ものすごいスピードで、起こったことを否定的に解釈して思考しています。
物事を決して繊細に感じていてるわけではなく、憎しみや恨みといった否定的な意識を土台として、否定的な思考をするために、さらに相手の中に、自分に対して「悪意に感じる」ところを拾っては、さらに憎しみや恨みを募らせていくという悪循環に陥っているのです。
では、そんな悪循環を切るには、どうしたらいいのでしょうか? (つづく)