ポジティブな繊細さがない 2

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 相手の言動に敏感で、それを怒りや憎しみや恨みといったネガティブな感情や気持ちに転換してしまうことを、繊細とは言いません。

 相手の悪意に繊細な人は、相手の悪意を感じたとき、それを自分に対
する悪意と、その感じた感覚を、自分の中にある他者への悪意とを攪拌させて、さらに自分の否定的な思考で、その悪意をエスカレートさせている可能性が高いでしょう。

 本当に繊細であるなら、そうであればあるほど、相手のこころを色づけなしに“感じる”ことができます。

 その“感じる”というのは、まるでその傷みが、自分の傷みでもあるかのように感じる、ということです。

 ですから、相手の悪意を、あたかも自分の悪意であるかのようにも感じて苦しくもあるでしょう。

 けれどもそのとき、その悪意の出所が、自分の中から派生したものではない、とも承知しています。

 また、そのとき、自分のほうにまったく悪意がなければ、相手の悪意をまるで自分の傷みであるかのように感じたとしてもさらにその奥にある、相手の苦しみや悲しみのほうを、より感じるでしょう。

 だから、自分自身が、その悪意やその奥になる苦しみや悲しみを感じると同時に、それ以上の「いたわりや慈しみ」の心で相手を包む込むこともできるでしょう。

 それはまるで、「二人の自分」がいるようです。

 実はこの、二人の自分がいて、相手に対して一言でいうと「愛」で包み込むような感じ方ができることが、戦わないで結果として勝つ方法です。

 これはまた、自分を守る方法でもあります。

 超越した意識ということもできるでしょう。

これは決して、イメージで言っているわけではありません。

 自分が、そんなポジティブな気持ちになるには、この社会の中で「具体的に自分を守る方法」を知らない限り、できないことです。

 そしてまた、そうなるには、自分自身が、どれだけポジティブな感じ方の感度を高められるかにかかっています。

 自分が感じるポジティブな感じ方の感度を高めることができればできるほど、この意味がわかってくるに違いありません。

 これは善意の人が悪意の中に巻き込まれないための方法というだけでなく、絶えず相手の悪意や自分の悪意を攪拌させて悪意をエスカレートさせてしまう人にも、共通する方法です。  (おわり)