トータルでは「損をする人生」
多くの人が、目先の損得に囚われます。
目先を得に走ると、結局は損することになるという話をよくしています。
目先の損得に囚われるというのは、まさに目先の損得のほうに焦点が当たっている状態です。
とりわけ、頭で考えてしまうと、目先の「得」に走ってしまいやすいのではないでしょうか。
ごり押しをすると金銭的に「得をする」ということがよくあります。
けれども、しばしば、それがほんとうに得していることになるのだろうか、と思ってしまうことを目にします。
例えば、お金を払うべきときに払わなかったとしましょう。
相手がそれでも何も言ってこなかったら、「得した」と思うでしょう。
(このとき相手は、争いになることを恐れて催促できないでいるかもしれません。)
目先では、得しています。
けれども、無意識のところでは、どうでしょうか。
自分がやったことを自覚しています。
そのために、心の奥では罪悪感を覚えています。
けれども、目先の得に囚われていると、目先の得が、この「無意識に罪悪感を感じていること」をかき消します。
顕在意識では、そのまま罪悪感を感じたことを忘れてしまうかもしれません。
けれども、無意識は、そうではありません。
無意識が罪悪感を覚えていたら、無意識は、その罪悪感を帳消しにするためのことを起こします。
お金で言えば、損する動きをするでしょう。損をすることで、その罪悪感が帳消しになるからです。
それは、こんな構図と似ています。
Aは、Bからお金を借ります。
けれども、AはBにお金を返しません。
ところが、Aは、その金をCに渡していて、返してとは言えません。
これは、A社へのローンの借金を、B社から借りて、A社に返すという構図とも似ていますね。
目先の得に走る人は、無意識の視点からみると、往々にしてこんなことをしています。
結局、トータルでは、「損をする人生」になっています。