正直者に決定的に欠けているもの (1)

 人を出し抜かないと人生はよくならないと、信じ込んでいる人たちが多いのかもしれません。
「けれども、自分がそんなことができないから、人生はよくならない」
 と。正直者は馬鹿をみるとも言います。

 実際にそうかもしれません。
 ただ、私自身は、そうは思っていません。

 私は、人間の「意識」の能力は無限に等しく有ると信じているからです。もちろんそれをうまく使いこなせているかと言うと、そうではないし、またほとんどの人が自分の力を信じていないから、「戦ってしまう」ということであるとも思います。

 意識という点から言うと、色々な自著に書いているように、逆に、戦わないほうが、はるかにうまくいくでしょう。

 勝ち負けを争えば、どんなに勝つことを目指しても、ほとんどの人たちが「負け組」の属するでしょう。
 どんなに勝ちを目指しても、勝つことができる人は一握りです。

 俗に「社会の富の99%を、人口の1%の人間が占めている」と言われています。
 仮に社会の実態がそうだとしたら、私たちがその1%の中に入るのはほとんど無理だと思わずにはいられません。
「だからこそ、目指し甲斐がある」という人もいるかもしれません。

 けれどもその1%を目指して「戦う」のだとしたら、いっそうその1%の中に入るのは、さらに至難の業と言わざるを得ません。

 なぜなら、その1%の人々は、人を戦わせることはあっても、自分たちは「戦っていない」からです。

 もう一つ、「勝ち負け」で語れないのは、この世はすべて「バランス」で成り立っているからです。
 バランスが傾いていればいるほど、社会の構造から言うと格差が拡大していくでしょう。

 会社に例えると、同僚同士は争っている。
 けれども、社長には黙って従ってしまう。環境や労働条件が悪くても、黙々と従う。

 この不均衡が、格差を広げているのです。

 こんな社会構造のバランスを、「戦う」ことで崩すことはできません。
 かといって、戦って負けて諦めてしまえば、さらに格差は広がっていくでしょう。

 正直者は馬鹿をみる、と前記しました。
 けれども、そんな正直者に、決定的に欠けているものがあります。  (つづく)