運が良くなる方法で、運が悪くなる

運が良くなる方法で、運が悪くなる

 もしあなたが、
「どうして、人生が、自分の思った通りにならないのか」
 などと悩んでいるとしたら、それは、自分の人生を他者に預けているからだと言えるでしょう。

 例えば、
 期待に応えない生き方 -他人に合わせないで自分をとりもどす(パブ
ラボ)では、掃除や片付けにも触れていますので、「運をよくしたい」と願っている人たちには必読本ではないでしょうか。
 どうしてそれは、うまくいかないのか。
 例えばあなたは運をよくするために、一生懸命部屋の片付けをしたり、さまざまなグッズを買って置いたり、身につけたりしているとしましょう。
 確かに、しないよりは効果があるかもしれません。
 プラシーボ効果というのもあります。
 自分の意識が、人生の土台になっているとしたら、ほんの少しでもそれらによって意識が変われば、それが人生のきっかけになるかもしれません。

 けれどもずっとそれらを「当てにしている」と、段々効力が薄れてくるに違いありません。
 これも、言うなれば、
「相手がそう言うから、そうに違いない」
 というふうに、「相手に合わせる、従う」意識です。

 仮に最初はそれでよくても、徐々にうまくいかなくなるのは、それをする動機そのものが、他者中心で選択したものだからです。

 他者中心であっても、興味を覚えてたら、買ってみたくなります。
 けれどもそれは、飽くまでも「他者が用意したもの」です。

 ゲームをクリアーするために、裏技などを駆使してやったとしても、決してそれは、自分の発見でも発明でもありません。

 それは最初から、そのゲームに仕込まれていたものです。
 自分が発見したり発明したような気分になるだけで、実際にはそうではありません。

 それをしているとき「楽しい」と感じていたとしても、無意識は、それが自分が無から創造した「自分だけのオリジナルではない」と知っています。

 そこに「楽しい」の限界があります。
 あるいは、その限界は「虚しい」ということなのかもしれません。

 人の言っていることを信じて、それに従っていても、無意識は、自分が他者に合わせていることを知っています。

 なぜなら、他者に「合わせてようとしている」ときは、そのほとんどが、思考から始まります。
「そうすると、うまくいくって話らしいぞ」
 も思考です。

 けれどもそうやって、物事を捉える起点が、自分の欲求や感情よりも、「思考」となっていれば、早晩、それをすることを「苦痛に感じ
る」ときがくるでしょう。

 例えばもし、あなたが掃除をしたり整理整頓するときに、「苦痛を感じている」としたら、思いが叶うどころか、思いは叶わない。場合によっては、「運が悪くなる」ということもあり得ます。

 なぜなら、日々、自分が感じる“実感”が無意識の目標、つまる「自分の願望」ということになるからです。
 
 ですから、毎日苦痛を感じながらそれをしているとしたら、それは、毎日「運が悪くなりますように」と願いながら、していることになるのです。

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