絶対に不幸せになる発想

 絶対に不幸せになる発想というのは、こういうことなのかと、驚いたことがありました。相手を否定する気持ちはまったくなく、自分の中にこんな発想がなかったので、“新鮮な驚き”でもあったのでした。

 それは、
「親しい人が、私と一緒にいて、楽しそうな表情をしていると、それが許せない。場合によっては、その笑顔さえ憎々しく思える」
 というものでした。

 相手が自分によって幸せを感じているとしたら、それは自分にとっても幸せなことだと思うでしょう。
 一般的には、そうです。

 相手が自分と一緒にいることで、幸せを感じている。
 そんな幸せそうな相手をみて、自分自身も幸福感を覚える。

 という相互作用であれば、とても幸せな二人、ということができるでしょう。

 けれども、人によっては、自分と一緒にいるときに、
「相手が幸せそうにしていると、それだけで腹が立ちます。自分のおかげで相手が幸せになっているのだと思うと、許せなくなるんです」
 と思う人もいるのです。

 あまりにもあからさまに本心を言われると、ギョッとするものがありますが、ただ、よくよく考えると、誰でも気づかずに、こんな発想をしているのかもしれません。

 例えば、母娘というのは、親子であると同時に同性です。
 娘に恋人ができてその二人が幸せそうにしているとき、その姿を親の立場でみていると、娘の幸せを喜び、祝福したい気持ちになるでしょう。

 ではその一方で、娘を同性としてみた場合、どうでしょうか。

 母親が、特に、とても不幸せな体験をしていたとしたら、どうでしょうか。同性としての娘が羨ましかったり、妬ましかったりするかもしれません。

 とても不幸な体験をしていて、それをいまだ解消できないでいるとしたら、複雑な気持ちでしょう。
 それは、自分の娘が恋人に奪われてしまったようで寂しいというような気持ち以上の感情です。

 それが高じれば、無意識に、娘が幸せになることを邪魔したくなるかもしれません。

 自分にとって最も愛したい人が、「幸せであることが許せない」となってしまうのでは、双方にとって不幸です。

 こんなふうに、自分に辛い過去があって、それが未だ解消されていないと、
 幸せを求めながらも、過去に体験した感情をそのまま、「自分にとって最も身近で、最も大事にしたい人、最も愛したい人」に向けてしまうということがあるのです。