共感性の乏しい社会 2 ネガティブな感情のほうが強烈だ!

(2) ネガティブな感情のほうが強烈だ!

 自分の人生を肯定できるかどうかは、感じ方の問題でもあるでしょう。

 自分の人生が思った通りにいかないと感じているとしても、事実がそうであるかどうかはわかりません。

 一般的な「感じ方」として、ポジティブな感情よりも、ネガティブな感情のほうが強烈な印象として残りやすく、そのために、「自分の思った通りになっていない」ように感じる、ということもあるのではないでしょうか。

 ともすれば、温かいほのぼのと、というようなポジティブな感情は、憎しみや恨みといったネガティブな感情に、すぐにとって替わります。

 現代社会においては、ポジティブな感情が環境的に育ちにくいので、ポジティブな感情の感度よりも、ネガティブな感情の感度のほうが高くなってしまうのは、致し方ないことなのかもしれません。

「私は感情が激しいと言われるんです」
「私は感受性が強いので、すぐ傷つくのです」
 という人がいます。

 こういった場合の感情とは、ポジティブな感情を言っているわけではなく、ネガティブな感情のほう指しています。

 これは、すなわち「豊かな感情」を意味するものではありません。

 むしろ、そんなネガティブな激しい感情を抱きやすい人は、胸が温かくなるような細やかで豊かな感情には乏しいかもしれません。

 最近では、心を閉じてしまっていて、ポジティブな感情はもちろんのこと、ネガティブな感情も「何も感じない」と答える人が増えています。

 こんなふうに、社会全体が、ネガティブな感情には敏感だけれども、ポジティブな感情には鈍感になってきています。

 そのために、例えばネガティブな出来事とポジティブな出来事が半々で起こっていたとしても、ポジティブな感情の感度が低ければ、否定的なことばかり起こっていると感じてしまうでしょう。

 実際には、トータルで言えばポジティブな出来事のほうがはるかに多いはずです。

 けれども、ポジティブな感度の感じ方が低ければ、それにも気づかないでしょう。

 究極的には、自分が満足するかどうかは、自分の感度の問題です。

 前回は、他者に対する「共感性」の話をしましたが、その前に、自分の感情にもっと関心を抱き、ネガティブな感情であれポジティブな感情であれ、その感度を高め、「自分の心に共感できる自分になる」ことが先決なのかもしれません。 (おわり)