他者に合わせていても「安全」とは言えない

 情報社会においては情報が氾濫していて、自分自身の判断力がより求められる時代となってきています。
 雑誌や新聞やテレビといったものも、決して真実を報道しているわけではないために、鵜呑みにすることもできません。

 高年齢層は、マスコミは「社会の木鐸」という認識があって、マスコミの報道をそのまま真実であると信じたり、支持する人たちがとても多いのですが、若い世代ほど、マスコミの情報に関心が薄れているのだそうです。

 これには、大別すると二つの見方があります。

 一つは、ネットの普及で、新聞や雑誌やテレビでなくても、情報を入手することができるようになったし、真実かどうかは自分で情報を集めて判断できるので、必要としなくなった。

 もう一つは、そんな社会の動きに関心がなくなった。社会がどういうふうになって行こうが、社会や周囲に合わせて生きたほうが、安全だ。

 どちらの人たちが多いかで、未来も決まっていきます。

 自分中心は、自分の気持ちや感情や欲求を自分の土台に据えます。そして、否定的な感情を解消したり、自分にとって不都合な出来事や結果になっている場合は、その改善に努め、自分自身をより満足に、より幸福に、また、経済的にも潤う人生をめざします。

 自分中心は「経済的にも潤う」というのも“売り”の一つです。

 言い換えれば、これは「自分を信じる」ための作業です。
 自分を信じる作業ですから、できればできるほど、自己信頼が高くなっていきます。自信がついてきます。

 また、価値の置き方が変わってくるので、社会に対する見方もまるっきり変わってしまいます。

 他方、他者中心は、自分の判断基準を常に他者に置くために、社会の規範や常識、ルール、規則といったものを基準にして、それに自分を合わせる生き方をめざします。
 根本にあるのは、「他者に合わせていたほうが、安全だ」という生き方です。

 こんなふうに、自分中心と他者中心では、根本的な土台そのものが異なっています。
 これだけで、自分中心と他者中心では、自動的に正反対の道へと歩き始めることになるでしょう。

 なによりもまず、「他者に合わせていたほうが、安全だ」というのは、思い込みです。

 最早こんな「安全性」は壊れつつあって、むしろ、自分に害を及ぼすことが、いっそう増えていくでしょう。